木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのか [■BOOK・COMIC]
満足度★100点
KIMURA vol.0~木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか~ KIMURA~木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか~ (アクションコミックス)
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2016/04/15
- メディア: Kindle版
●不遇の柔道王の人生に涙した
私が一番嫌いなこと。それは説得や説明の機会がなく、相手の勘違いから馬鹿にされたり見下されたり、不幸な目に合うこと。堂々と喧嘩を売られたり衆目の面前で痛罵されるほうがまだまし。それは他人に対しても同じでどんな時代の人の人生であっても、やるせない思いでふつふつと怒りがわいてくる。
全国民がプロレスというものがシナリオがあるものだと理解せず、不意打ちで負けた「木村は弱い」と思ってしまった。かつて「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」と呼ばれた人を、だ。
あまりに無垢で、純粋で、世事に無頓着で、王者の気風を持っていたからこそあっさり騙された。自分の強さを疑わなかったことも裏目に出た。
読めば読むほど木村さんの後半生の苦しみを思うと、自分のことのように苦しくなった。
強い人が強いと理解されず、勘違いされたまま歴史からも消えていこうとするのは本当にやるせない。
しかし私も格闘技の歴史の一端しかしらなかったこと痛感する。
「一本」が美しいとするのが正道だと思っていた柔道史観を根底から覆された。勝者が歴史を作るという言葉があるが、格闘技の世界でも同じことなのだな、と思った。
《メモ》
・プロレスのシナリオは「アングル」、真剣勝負は「セメント」と呼ぶ。
・柔道は元々武士の時代から実戦思想。実は総合格闘技に通じるものがあり、そのため木村もボクシングなど打撃を取り入れることに柔軟な姿勢だった。
・師匠の牛島熊辰は戦後、国際柔道協会というプロ柔道団体を立ち上げたが1年ほどで終わった。
・戦前の日本の柔道は「高専柔道」が寝技を極めた。
・講道館は立ち技に傾倒、高専柔道との派閥争いが起きる。
・木村は師匠の牛島熊辰と共に柔道界から排斥された。後年、柔道講師として拓大に戻った後もそれは続いた。
・「悪童」の木村、師匠は「思想家」。
・牛島は東条英機を暗殺しようとし、木村を刺客にしようとした。
・戦後GHQが武徳館の解散を命じ、高専柔道も消滅した。
・木村と戦って勝ったことのある阿部謙四郎は武徳館再興を訴え、日本を見限り欧州に渡り、武道の本質を伝え英国人に数人の心をつかむものの、同上復活には至らず、いつしか消息がわからなくなり、最後は秩父の老人ホームで果てる。自分の人生は戦争で入隊した時点で終わったと語った。
・拓大への復帰を、そのとき理事長だった西郷隆盛の孫がなかなか承諾しなかった。
戦後、人生が変わったのは全国民と言えるかもしれないが、こと武道をたしなむ者の栄枯盛衰はことさらドラマティックだ。
阿部や木村の目も当てらない悲惨なものから、ブラジル、ハワイなど様々な海外に出かけ活路をもとめ、そこで出会った現地の格闘技を吸収し、その地で「ブラジリアン柔術」として収斂し花開く。
私が一番ぐっときたのは、かつて木村と戦ったエリオ・グレイシーの血を受け継ぐグレイシー一家が、90年代の総合格闘技ブームで、柔術の本流は自分たちが木村から引き継いでいるという誇りをもって日本でその技を示し、木村という人間の凄さを証明してくれたことだ。しかし、その気持ちも日本人に届いたかどうか。日本人が忘れた武道という哲学を理解されず、彼らは非常にがっかりしたことだろう。
とにかくボリューム満点でとても消化できないが、木村正彦の人生の一端、エキスは抽出することはできた気がする。私は柔道界からも格闘技界からも「強さ」を思う存分発揮するチャンスを与えられなかった、不遇の武道家のことを忘れたくないと思った。
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