武士の一分 [時代劇]
★満足度95点
銀座にて。友達と年内最後に一緒に見るには何がベストか、【父親たちの星条】と迷って【武士の一分】を見に行った。
木村拓哉に謝りたい。
キムタクは何をやってもキムタク、と思っていた浅はかな私を許して欲しい。
監督にはわかっていたのですね、彼の才能の善さを。
たそがれ~がアカデミー外国語映画賞にノミネートされた時、映画人のくせに「それってすごいの?」とのたまった監督。
ウッディ・アレンもそうだけど、才能ある人ってビックリするほど業界に関心なかったりする。
その方が、研ぎ澄まされた審美眼をもてるのかもしれない。
さりとて、スクリーンに映った刹那は確かにキムタクというフィルターはとれていなかった。
ドキドキしながら第一声を聞いた観衆は多かったろう。
一瞬、落ちつかないその所作に大丈夫か?とも思った。
しかしものの5分で「キムタク」はこそげ落ち、ささやかな夢をもった若侍がみずみずしく現れた。
フィルターを勝手にかけていたのは、こちらの方だったのだ。
あらすじを原稿用紙1枚でかけるほどのシンプルな話だけど、山田洋次・時代劇三部作に共通の“リアルさ”が惹きつける。
夏にはきちんと首もとに汗をかかせ、外出後は足袋がうっすらと汚れている。
身分によって髪の乱れ具合も違う(上級武士は鬢づけ油をきっちりと塗り、下級武士は横からボサボサと髪が躍り出ている)。
だからこそ、隣人の目で彼らを見守る事ができる。
夫婦がどうなるか、果し合いはどうなるか祈るような気持ちで。
キムタクの演技は、眼が見えなくなってから凄みを増す。
死んでいるような達観した眼。妻が不義を告白する時の怒りの眼。
怒りでみしる柱、空を切る拳、勢いの余り壁を突き刺す木刀、空気を斬る真剣の音、千切れる腕、全てがリアルで。
もう一つ忘れられないのが。
小林稔侍が“一人腹”をやるシーンがある、介錯もなくたった一人で。
もうすぐ定年、という風情の侍が、死ぬ間際に“武士”になるのである。
せつなかった。
山田洋次は画一的な時代劇に、日常の佇まいという新風を送り込んだ。
日本人にしかわからない日本の善さを、いつまでも愛でて生きたい。
そんな風に優しく沁みていく、この映画に出会えた事を幸せに思ふ。
こぼれ話>>自分のコト
余談だが、友達に「話し方が桃井かおりに似ている」と言われた。
これで3人目なんだけど、そんなにけだるそうかなぁ(笑)
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