RRR―アール・アール・アール [歴史絵巻・文芸作品]
他のボリウッド映画では物足りないんじゃないだろうか…?それが一番の問題点だ。
最後の決闘裁判 [歴史絵巻・文芸作品]
見るに損はしない余韻を残す映画でした。
ポンペイ [歴史絵巻・文芸作品]
■なんでバッドエンドやねん、とは思わない
古代ローマ好きとしては、いかにもステレオタイプの悪役のローマ人の描写にムムム、とも思ったけども、民族背景や都市国家の独立性など、要所要所では時代考証がなされている気はする。
ベースの話は単純明快だし、中身が無いといえば無い娯楽作品なのかもしれない。
ただ、ポンペイに実際行ったことがある身としては、あの人間の生活感が生々しく残っている町並みに、今回の主人公たちの姿が重なって少し切なくなってしまった。
映画の結末は作られたものだけど、本物の人間の営みは、未来が見えない中で、手探りで進んでいく。
だからこの映画も、未来が見えない中で、ただ精一杯戦って、精一杯あらがって、精一杯生き抜こうとした人たちを描きたかったかのかなと。
だから、バッドエンドでもなくハッピーエンドでもない、と個人的には思う。
あの二人の二日間は、一瞬だからこそ輝いたのかもしれない。
ただ、噴火や地震や津波の描き方がゲームっぽくて、なにか微妙に違うんだよな…と思ってしまうのは、災害大国、日本にいるからなんでしょうね。
主役がオーランド・ブルームを彷彿とさせて好み。キャリー・アン=モスの使い方は勿体ないなぁ。
女王陛下のお気に入り [歴史絵巻・文芸作品]
■演技合戦は見事だが、クライマックスでカタルシスを得られない
史実をベースにしているが、人物描写は大胆に変更。アン女王をバイセクシャルに描いたことに新鮮な驚き。
史実ではレイチェル・ワイズ演じるサラが宮廷から追放されたとき、女王がレズビアンだと糾弾したとかとかしないとか。
本の背表紙のような各章のデザイン。
カメラ・オブスキュラで覗いたようなファンタスティックな映像。
自然光で撮影したナチュラルな陰影。
蝋燭の灯りにふわっと浮かぶ女の魔性の顔。宮廷という密室で行われる駆け引き。
オリビア・コールマンが独りで憂う時に醸し出す高貴さ。
レイチェル・ワイズの冷徹な上品さ。
エマ・ストーンがみるみる堕ちていく様子。
見ている間は華やかで卑猥な宮廷絵巻に引き込まれるのだが、いかんせん観た後に心に何も残らない。
三人の演技に牽引され、劇中非常に緊張感を強いられるのだが、それがクライマックスに向け収斂し解放されることがないので、カタルシスを得られない。
劇中ではサラとサラの夫が追放される寸前で終わり、一応アビゲイルの勝利に終わるのだが、どことなく中途半端。その先の史実ではこの夫婦は罷免されたあと旅行にでかけたらしいので、映画的にはここで終わらせることで含みを持たせたかったのはわかる。だが描き方がスリリングじゃない。
どうせならもっと悲劇に仕立て上げてもよかったのじゃないか?あくまで史実は逸れたくなかったのか。
ラスト、エマ・ストーンのひくつく表情は見事。途中からアビゲイルがいつダークサイドに堕ちちゃったのか、そればかり考えていたのだが(笑)、終わってみるとレイチェル・ワイズの存在感がやけに残る。 個人的には彼女に賞をあげたい。
沈黙ーサイレンスー [歴史絵巻・文芸作品]
満足度★70点
●HP…http://chinmoku.jp/
心を征服しにきた宣教師と、心を蹂躙する為政者と、どちらも 同じ穴の狢。
どちらかというと、日本人の私としては、やはり一神教のお仕着せがましさが鬱陶しい。
神に代わって汝を許すなどと、神の声を聞いたこともない同じ人間に言われたくはない。
劇中の浅野忠信の言葉を借りると、仏教は「自分の力で悟りへの道を学び、仏に近づく」ものだが、一神教は「神の教えに盲従しろ」というもの。
縁もゆかりも無い顔かたちをした男性に「汝の罪は既に私が背負っている」などと言われても、じゃあなんで今苦しいわけ?と突っ込みたくなる。その点「人間が苦しいのは自分の欲からである」と説く仏教の方が、より普遍的に思える。
ただ、武士階級など生活に余裕のある者は、「苦しみは己の欲から生ずる」という教えに向き合う心の余裕もあろうが、重税に苦しみ、ひたすら現実から目を背けたい農民にとっては、「何も考えずに心を委ねる」一神教は乱暴な言い方をすれば楽ですよね。
その点を武士もきちんと心得ていて、農民が本当の意味ではキリスト教の教えを悟っていないこと、そしてだからこそ洗脳されやすい危険があることを承知している。
農民を苦しめている根源であるにも関わらず、「我らも嫌なのだ」「取り合えず形だけでいいのだから」と甘言で体裁を整えようとする嫌らしさ。形だけの行為が、じわじわと彼らを蝕むことも知っている。
そんな農民に「主は許してくださるから踏み絵をしてもいい」と救いの手を伸ばすどころか、神罰と背教を恐れて真の慈悲を見失う宣教師。イコンに執着する心の弱さよ。
本当に信仰しているのなら、胸を張り毅然とした態度で踏み絵をすればいい。
結局人を救えるのは人だけであるということ。
私は、神よりも人の内に宿っている善意を信じたい。
余談だが、最後の20分は蛇足。ロドリゴが踏み絵を決意する緊張の「サイレンス」の演出で終幕すれば、傑作になったのにと思った。
>>俳優メモ
さらに余談だが、リーアム・ニーソンとアダム・ドライバーのキャラクターが、スター・ウォーズと被ってしまう。
時に怒りに我を忘れ、人に傲慢な態度をとる様子はカイロ・レンの弱さを彷彿とさせる。
リーアムは己を律し真の心を内に秘めた指導者として、クワイ・ガン・ジンそのもの。キャスティングの妙ですね。
わが命つきるとも [歴史絵巻・文芸作品]
満足度★75点
■権力におもねらない高潔な人物
「王の僕の前に、神の僕である」
トーマス・モアの主張は、一神教を擁しない日本人にとっては、融通のきかない頑固者としてしか目に映らないかもしれない。
しかし、彼は敬虔な信者という立場からというよりも、イングランドの行く末を案じる一人の政治家としての立場から、王への拒絶を強めたのだと思う。
国王が教会に圧力をかけて再婚を認めさせるということは、カソリックの教義をねじ曲げるということと同じことであり、それは宗教で統制している国民の道徳心や倫理観を揺さぶることにもつながる。
もちろん私は、それほどまでして守らねばならぬほど宗教が大切だとは思えないし、国主が禁忌を破ったからといって、自分の倫理観が崩壊するほどの衝撃を受けたりはしない。
それは生きている時代と国と人種が違うから言えることであって、この時代に身を呈して権力におもねらず死を選んだトーマス・モアの覚悟は、やはり凄いことだと思う。
それよりもあの手この手で彼を凋落させた取り巻きどもの執念に呆れる。
モアは政界を下野して平民に退いているのだから、本来であれば放っておけばいいものを、王ヘンリーの執着と嫉妬がそれを許さない。逆説的に、モアがいかに高潔だったかが伺える。
ヘンリーは一番信頼できる人物を、みずから殺してしまったと言えますね。
リンカーン [歴史絵巻・文芸作品]
満足度★70点
■平和か、正義か
あまりにも有名な奴隷解放宣言。 しかしそれは、法的に平等を約束するものではなく、効力もほとんどなかった。
彼が本当になした偉大な功績は、「アメリカ合衆国憲法修正第13条」の可決。
原文「第1節 奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない。ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とするときを除く。 第2節 議会はこの修正条項を適切な法律によって実行させる権限を有する。」
映画はこの憲法修正案を可決するまでのリンカーンの戦いを描く。
「人間は平等であるべき」という信念のもと、修正案を通過させたいリンカーン。
泥沼化した南北戦争に終焉がみえはじめ、南部が停戦を申し込むという噂がたつ。しかし、修正案を通過させれば奴隷制を維持したい南部が徹底抗戦に翻る可能性があった。
側近達も「平和か正義か」を秤にかけたときに、修正案通過よりも南部との停戦に傾きかける。 それでも揺るがないリンカーンは、側近達に敵対勢力、民主党の切り崩しに取りかかるよう命じる。 賄賂を使ったり和平を結びに来た南部の使者の存在をもみ消したりして、要するに裏工作させるのだ。
平和か正義か、正義のためなら多少の悪も許されるか。
卑怯者になりたくない!と軍に参加してしまった長男や、次男をなくした哀しみから戦争を早くやめてと哀願する妻に悩みながらも、それでも一時の平和より正義を選ぶリンカーン。色々考えさせられます。
それよりも印象に残ったのは急進派のスティーブンス議員。 「黒人に選挙権を」という、奴隷解放どころか何段階も飛び越した「とんでもなく過激な」主張をもち、 長年冷笑と嘲笑に蔑まされてきた彼が、リンカーンに「まずは修正案の通過に協力を」と説得される。
ややこしいところだが、リンカーンとスティーブンスは思想のベクトルは一緒でも、 スティーブンスは修正案の内容には不満だったらしい。
浅学なので誤った見解かもしれないが、修正案は奴隷を禁ずるだけであり、 「どの人種も生まれながらに平等である」ことをあきらかにするものではないから…だと思う。
「生まれながらに平等である」ことを証明するには選挙権が必要で、選挙権があればこそ、初めて国民といえるから。
そんなスティーブンスが、民主党議員から議会で証言を求めらる。
「あなたが求めるのは、人種の平等か。それとも、法の下の平等か」
もちろん民主党員は彼が「人種の平等」を望んでいることを知っていて、「リンカーン派」の牙城を崩すために質問したのだが、スティーブンスは「法の下の平等」と答えるのだ。
この場面は本当に重い。リンカーンに託したものの大きさがわかる。
その一方で、立法主義であるアメリカの本質的な姿が際立った一場面でもあった。 法が全ての国。
ダニエル・デイ・ルイスとスティーブンを演じたトミー・リー・ジョーンズ、二人の名演なくしては見られない。 派手な演出はなく地味だし、一言も漏らすまじと真剣に見ていないと、議会で繰り広げられていることの重大さに気づきにくい。
「解放されたらどうする?」との問いにリンカーンの黒人メイドは言った。
「わかりません」と。
「自由になることに必死で、 その先の道は誰も示してくれなかったから」 と。
結果を怖れてばかりではなにも変わらない。法が間違っているのなら、その法を変える勇気や信念を持つこと。常に疑問に思い、常に考えること。
この映画のリンカーン像が実像とどれだけ近いのかはわからないが、民主主義とは何かということを一考させられる映画だった。
ノア 約束の船 [歴史絵巻・文芸作品]
★満足度70点
■箱舟という密室サスペンス
ノノアの幻視や、アダムとイブの子孫の持つ、神の遺伝子ともいうべき超然とした体力や神通力などが、抽象的でことさら大げさに描かれないところがいい。あくまで人間として描いているが、人間を少し離れたところにいるような。
一番気になっていた、箱舟伝説で一番有名な動物達を集める場面をどう表現するのかと期待していたら、勝手に番(つがい)としてやってきた(笑)。舟を作る材料として森林が生えていくなど、その辺は変に新解釈をこじつけず、神の「みわざ」として直接的に描いている。
大洪水が起こるまではありきたりなノアの物語だったが、そこから【ブラック・スワン】で魅せたダーレン監督の手腕が発揮される。聖書の荒唐無稽な世界から一転、密室サスペンスに。
まさか、神の意志を遂行しようとするノアと、産まれてくる子どもを守る家族との精神的な闘いになるとは思いもよらなかった。
神はあくまで「人間の滅亡」を望んでいて、次男・三男は妻を娶らずに寿命が尽きたら死ぬのだと説き伏せていたノア。そこへ長男の妻が妊娠し、激高する。
なぜなら神の意思を貫く為には、自分が殺さなくてはならないから。崇高な命令を全うすることのみを目的とした彼は、どんどん狂気じみていく。
家族が馬鹿みたいに手放しで妊娠を喜ぶ様をみて、ノアは心底自分たち人間が愚かだと痛感する。
箱舟が完成し、人を見殺しにした罪悪感に耐えに耐えていたこともあるが、ノアは自分も含め、いつカインのようになってもおかしくないと悟る。ここにキリスト教の絶対的な性悪説が感じ取れる。
「善良な人間だから神に選ばれたのでは?」と問う家族に「任務を遂行できると思ったから選ばれた」と答えるノア。
本来の聖書ではノアと息子たち3組の夫婦が箱舟に乗り込んだことになっている。そこを変更し、息子の妻となる娘は幼い頃ノア一家が拾った孤児、恋人のいる長男をうらやむ思春期の次男、まだ子どもの三男という設定にしたことが、このサスペンスを生む。
妻を娶りたい次男ハムは「子孫を増やさない」と固く心に誓うノアとことごとく対立する。
そこへ「生きる権利を勝ち取るのは人間だ」とこっそり乗り込んでいたカインの末裔に唆される。
最後にノアの元を離れるハムは、ある意味純粋ではあるものの、自然界を駆逐し貪るように増えていくこれからの未来の人間を示唆するものがあった。
聖書をそのまま表現するよりも、ずっと人間くさい葛藤を描いたこの脚本はうまい。
ただ、ノア一家の周囲や祖父の住む山までの道のりが徹底して荒野だっただけに、他の人間の営みがちっとも垣間見えなかったことや、それにより洪水で浄化させる人間達が生活感の乏しい記号化された存在としか捉えることができず、ノアが置き去りにした人間たちへの苦悩が全く感じられなかったこと、カインの末裔が高度な精錬技術を有したとは思えないことなどが、残念。
失楽園の原因となった蛇の抜け殻が、聖書に伝わる「ノアの一子相伝の秘術」という点や、ノアの箱船を手伝う堕天使(ウオッチャーとしたのは些か不満も残る)が、死ぬことが解放=神の元へと還るという構図は良いと思った。
>>メモ
ラッセル・クロウが一人で佇んでいるとオーストラリア開拓史の物語にやや見えてしまうところを(笑)、ジェニファー・コネリーの品格と神秘的な風貌が補っている。
双子を妊娠するイラ役のエマ・ワトソンの演技もすごい。女優陣の演技がなければ、ラッセルの存在感だけが際立ってしまっただろう。
カストラート [歴史絵巻・文芸作品]
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カラヴァッジョ~天才画家の光と影 [歴史絵巻・文芸作品]
★満足度70点
■画家を襲うトラウマとは?
劇中のカラヴァッジョのひどい死に様に驚いた。実話かどうか調べてみると、ローマへ許しを得る旅の途中で熱病に冒されて死んだとあったので、どうやら創作らしい。
ただ、波打ち際に打ち捨てられた彼の姿は、今までの行いの報いでもあり、自分を曲げることのできなかった男の末路を象徴的に表しているともいえる。
バイセクシャルで破天荒で、起こさなくてもいいトラブルを常に引き起こし、権力にへつらうことがない人物像は、正に神経質な天才肌のステレオタイプ。
枢機卿という大・大パトロンが自由に寛大に接してくれていたのにも関わらず、しょっちゅう泥酔しては喧嘩して尻拭いをさせ、はたまた高級娼婦を巡りその情夫と決闘の末殺害してしまったりと何かと破天荒。
挙げ句の果てに死刑宣告が下されるが、懇意にしている貴族の力添えでマルタ騎士団に入り、事なきを得る(騎士団にはバチカンの権力さえも届かないという中立性が面白い)。
しかしそこでも挑発されて上級騎士に怪我を負わせてしまう。
命がいくらあっても足りない、正に自業自得。
自画像ではあまりハンサムとはいえないカラヴァッジョだが、劇中では割とハンサムで、イノセントさ故に自分を抑えることができないという、母性本能をくすぐる魅力的な男に変貌。
初期に登場する友人のマリオも恋人として描かれている。
しかし天才というのはどうして普通に過ごせないものなか。
凡人はその命の無駄遣いを惜しむが、非凡とは得てしてそういうものかもしれない。
過敏で繊細だからこそ、感情のエネルギーをどこかにぶつけたい、その「飢え」こそが創作意欲。
だから天才に心の平穏はなく、平穏であれば飢えは起こらない。
天才は欠点だらけだし、また欠点なければ天才とは言えないのかもしれない。
いつまでも若々しい青年のような情熱が、大勢の女性から愛された理由なのかも。
惜しむらくは、再三悩まされてきた「黒衣の死神」のようなビジョンの原体験の描写や創作が乏しく、感情移入を遠ざける遠因となっている。
しかしカラヴァッジョの作品を投影した映像は巧みで、美しい。
神に人間性を投影した彼は、光こそ神聖を帯びたものなのだと直感的に筆を走らせたのだろうか。
光が差す陰こそが存在を示すものだと言いたいのだろうか。
カラヴァッジョの絵画は、闇ではない部分があまりに艶々しい。
この映画は、彼を学ぶに最良の教科書だった。