LOOPER [SF]
■主役のぶれかたが、スターウォーズエピ8を彷彿とさせる
監督、たしかこの作品をプロデューサーに評価されてSTAR WARSに抜擢されたのではなかったか。彼が描いたエピ8は私には強烈に受け入れがたいものがあって、逆に過去作品が強烈に気になっていたのだが、ようやくこの作品を見てあのSTAR WARSになった理由がわかったような気がした。
途中で主人公が変わっちゃうんですよ、この人。ルーパーの話だったのに、途中でTKという超能力を持つ男の子シドの話になっちゃうんですよね。
もちろんヤング・ジョーの友人がTKを持つルーパーだったりして、冒頭に布石はまかれてるんですよ。
でもね、そんなことすっかり忘れてた矢先に、どかんとシドがTK爆発させて、そこからシドと母親サラの綱渡りのような関係性に多くの時間が割かれていき、せっかく未来からきたオールド・ジョーのブルリーのパートは殆ど無いに等しく、ヤング・ジョーのジョセフ・ゴードンの影もどんどん薄くなる。
いや、シドは将来ジョーの愛妻やルーパーを殺す「レインメーカー」になるので重要な人物なんですが、利害の対立するヤング・ジョーとオールド・ジョーの共闘か対立かを楽しみにしていたこちらとしては、やや肩すかし。
邂逅直後は、ルーパーを閉じないと(殺さないと)自分が殺されるヤング・ジョーが、「俺の人生はまた別だし」と割り切って未来の自分であるオールド・ジョーを殺そうとするのは理解できるのですが、シドがレインメーカーなら彼を殺すことで二人の利害は一致しないだろうか?
ヤング・ジョーが自分の命と天秤にかけるほど、そこまで母子との交歓があったかというと、母親のサラと一晩Hしただけ。あのラストにするならもうちょっと、サラとヤング・ジョーの間に恋だの愛だの育んだらどうですか?ライアンさん。
優しくしてくれた娼婦の面影をサラに求めたにしても無理がありすぎでしょ。
あれだけ人生への執着をみせていて、未来の自分と話し合う素振りさえみせなかった男が、急に自己犠牲に目覚める行為に説得力がないんですよね。
オールド・ジョーを撃って、サラと結ばれシドの父親代わりになるならまだしも。
とはいえ全体的には面白くなくはない。タイムスリップの描写は省略の仕方が独特でテンポがよいし、ルーパーの肉体がリンクしていることを利用した仕掛けも面白いし、過去を書き換える度に改竄されていく記憶などの設定も、無理なく帰結してる。
エピ8でも主人公以外の人間に時間かけ過ぎ、また自己犠牲の展開が鼻につくほど多かった。その片鱗がこの作品でも見えましたね。群像劇や多重構成が好きなんですかね。
あふれる母性で主役を喰っちゃったエミリー・ブラントはチャーミングだし、シド役のPierce Gagnon君がめちゃくちゃダークサイドに堕ちた表情で慄かせてくれるし、エピソード1のアナキンよりもアナキンらしいので彼の演技だけでも一見の価値あり。
また、まったく似てない二人を同一人物にみせるためメイクで、ブルリーの情けない落ち武者ヘアスタイルも見れてお得感(笑)。
ついでにジョセフ・ゴードン・レビットの眉とつけ鼻も若干気持ち悪い。
なんでこの二人をキャスティングしたのか(笑)
ラディウス(※ネタばれあり) [SF]
人間の現在を形成するのは積み重ねた記憶。積み重ねたものが無くなったら、そこには素の性質がある。
主人公リアムの暴かれた記憶はとんでもないもので、それまで感情移入していた視点をぶっつり切ってしまう大胆な展開だったが、プラズマ生命体(?)が何故この男にこの能力を与えたのか?という疑問に、解を与えているのかも。
要するにプラズマ生命体は、殺人鬼にこの能力を与えれば、勝手に人類を滅ぼしてくれると思ったのかもしれない。その目論見は外れて、人間の本質は助け合う精神が備わっているものであった、ということ。
もう一つの解釈としては、未知のエネルギーに触れた二人は、その時の心理状態に起因して能力が発生したのではないかということ。リアムの能力は、その時の殺人の欲望に引きずられ、ジェーンの能力は姉を助けたい、もしくは自分が助かりたいという願いから引き起こしたもの。
いずれにしても、記憶を無くせば人は生まれ変われるのか?という点で鑑賞すると面白かった。リアムの能力の謎に気を取られすぎてはいけない。
ヒズ・マスターズ・ヴォイス@東京国際映画祭 [SF]
しかもQRコードを提示するのにまごついたり、その場で見る映画を決めている人も居たもんだから、10分くらい待たされて、この間にチケット売り切れてしまうのでは…とすごくやきもきした。直接購入窓口、少なくないだろうか?
無事購入でき、【エッグセレント】で腹ごしらえしたあと、六本木EXシアターへ。
マイケル・ムーアばりの怪しいアメリカ人や、ホーキンスのような障害を持つ知的な息子など、登場人物も意味深。父に偏執し情報に振り回される主人公を、虚像という「巨人」が食らう。その場面はゴヤの絵画「我が子を食らうサルトゥヌス」を彷彿とさせた。
劇中、実は気が触れた主人公の誇大妄想や幻覚、思い込みを見させられているのかと疑うこともあったが、脱線したかに見えた物語は再び一つの真実へと収束する。
その真実は父の編んだ織物に混ぜられ、息子の手で1と0の二進法へと変換される。様々な憶測と不安をザワザワと撒き散らしたまま、「真実」の正体は明らかにされないが、監督の思い描く「真実」のヒントは劇中にちりばめられていると感じた。
ミクロの世界はマクロでもあり、マクロに見えた世界は実はミクロである。宇宙デブリで取り囲まれ地表が見えない星は、未来の地球でもあり、かつて地球のような星だったものの過去かもしれない。
また、映画で示唆されたように、知的生命体はこちらのあずかり知らぬところでメッセージを送り続けているのかもしれず、こちらの預かり知らぬところで私たちの命運を握っているのかもしれない。
エクスマキナ [SF]
スケルトンのデザインと、動くたびに微かに機械音がする美しいAIそのものが、この映画の魅力。
エヴァが自由を求める時点で自我は目覚めており、わざわざケイレヴを使ってテストする必要がないようにも思う。それを言ってしまったら「そもそも」論になってしまうのだが(笑)
ネイサン、エヴァ、ケイレヴの心理戦、密室サスペンスは大いに楽しめたが、ネイサンが「建設作業員は口止めで殺した」というブラックジョークに引っ掛かる観客はそんなにいないだろう。
ソイレント・グリーン [SF]
印象の「難しい」を選択したのは、食料問題の抜本的な解決法が現在でも模索中ということと、死にゆく人間を食材の一つになっている世界を倫理的にどう受け止めるか、ということを考えさせられたからである。
殆ど食べる物が無くなった地球上で、もう生きるのは十分だと思った人間たちの肉を、生きる者たちに提供するというのは、合理的なのかもしれない。
しかし、今はまだ自死を希望する者の肉だけで賄ってはいるが、ゆくゆく供給する肉が無くなってきたら、政府が行き着く先は人間の家畜化であり、待ち受けているのは人間を食べるものと食べないものにわかれる、酷いカースト制のある世界である。
主人公の危惧していた通りに。
そんな世界に生きていて、人間は果たして幸せといえるのか。
絶滅してもいいのではないかとさえ思えてしまう。
汚染されていて不毛だと言われても、都会を捨て、どこか別の場所に一縷の望みをつないで、前向きな気持ちを持ったままくたばる方がまだマシだと思う。
一際印象に残ったのは、美人女性が「家具」として、高級マンションのオプションになっていること、老人ホームのような場所が美しい光景を見ながら死んでいく施設であることなど。
ディストピア映画はたくさんあるが、古い映画ながらも近未来の閉塞感を上手く表現している。
関係ないが、チャールトン・ヘストンは笑顔が下手な俳優だなと思った。苦みばしった顔が、この映画の作風にぴったりだった。
ブレードランナー2049 [SF]
■人間たらしめているのは苦しみ
【her 世界でひとつの彼女】【モーガン プロトタイプL-9】【エクスマキナ】【チャッピー】。
【ブレードランナー2049】も、「限りなく人間に近づいたAIは、果たして魂を持つのか」という主題を持った映画。それは前作の【ブレードランナー】で提示された課題でもあり、【AI】【アイ、ロボット】【アンドリューNDR114】など、その後に作られたSF作品もそれに追従している。
ブレードランナーを語る前に、私なりにその「AIの感情は人間に近づくのか」について考えてみたのだけれど、あることに気がついた。
普段私たちが感じる感情は「幸せ」と「苦しみ」に2つに大きく分けられると思うが、幸せは外部からの刺激によって得られることが多く、苦しみは外部からの刺激がないことで生まれることが多い。
単純な話、普段「感情」と呼んでいる代物は、ほぼ肉体に及ぼされた影響によって与えられていて、「好きな物を食べる・観る・読む」「好きな人と抱き合う・共感する」などなど、ほぼ外部からの刺激によって得られる充足感が多く、逆に苦しみはそれらが与えられないことが発端となることが多い。
精神的な充足感は「無」からは生まれないが、苦しみは「無」からも生まれる。
AIは外部からの苦しみ=病気、老衰による恐怖は得ないかもしれないが、孤独による苦しみは感じている。
「誰にも共感してもらえない」「孤独がつらい」など、脳内で勝手に生まれる「苦しみ」。
【エクスマキナ】【モーガン】のように「自由」を切望して苦しむAIや、【チャッピー】のように人間の排他的行為に怯えるAIなど、「つらさや苦しみ」の方は、AIでも人間に近い状態を体現できるのかもしれない。
SF作品でAIの苦しみばかりフォーカスされるのはその所以だろう。
全く同じ電気信号を人工脳に与えられるというのは【エクスマキナ】だが、有機物の発するものを、無機物に置き換えられるのだろうか。それはやはり「疑似」ということにならないだろうか。
いずれにしても、ほぼSF作品に登場するAIには、真の意味で死に対する恐怖がない。
死に対する恐怖がない生物は生物といえないと思うし、「肉体的な」苦しみと幸せを得られないAIは、やはり「疑似人間」でしか無い。
いずれにしても人間たらしめているのは「苦しみ」。
なので、それはいったん脇に置き、孤独に苦しみ誰かとの触れあいを求めている時点で、それを魂と呼んであげたいと私は思う。
それがプログラムだろうとなんだろうと、苦しんでいるのは事実なのだから。
Kが肉体を持たないAI・ジョイを愛しく思っているのは、なんともいえない哀れさがあった。
彼もまた、感情というまやかしにふりまわされて、傷ついている。
Kの心のひだをなぞるようないちいち冗長なシーンも、蠱惑的で退廃的な世界に身を沈めたい人間にとっては至高のひととき。
だが、そうではない人間にとってはやはり映画の尺が長すぎるし、物語そのものの求心力も弱いと思える。
ただ似たようなSF作品を観るくらいなら、迷わず「ブレードランナー二作品だけ観ればいい」と言いたい。
ブレードランナーが提示した課題を受けて作られた他の作品を、この2049で収斂させたとも言えるから。
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メッセージ [SF]
もう一度、ゆっくり見返したい映画。
辛い未来が待ち受けているとわかっていたら、果たして同じ選択をするだろうか?と自問する。
ヘプタポッドの言う通りだとしたら、人間が互いに争いをやめ、融和をしなければ彼らの未来が危ういということ。
しかし彼らの到着により、人間達は疑心暗鬼に陥りさらに分断する恐れもあった。
そういった危機すらも、ルイーズの存在により回避できるのだと、彼らのなかでは折り込みずみだったのだろうか。
ルイーズが持つ「武器」は、彼女が元々持つ能力なのか、ヘプタポッドと (間接的に)触れあうことで引き出されたものなのか曖昧でもあるし、未来がみえるということは、全宇宙の運命は決められたものであるのか?という疑念も湧く。
しかしそんな疑問は全てうっちゃって、ルイーズが我が子を失うとわかっていながら、それでも精一杯愛することを決意した場面に心を揺さぶられた。子供のこと、今目の前にある危機、全ては「今自分ができる最善のことを行う」というルイーズの行動に集約されていく。
宇宙は閉じた輪だとしても、その輪はヘプタポットの文字のように蠢き形を変えるのかもしれない。これからのルイーズや人類の選択によって、未来が変わっていくのかもしれない。 ルイーズがイアンに余計なことを言わず、二人がずっと一緒にいたら未来はどうなっていくだろう?
【インターステラー】でもキーワードだった愛。人類が情愛をもって最善の選択をしていけば、未来は明るい。
この【メッセージ】がたとえ理想論だとしても、憎しみで社会が分断の方向に向かっている中、こんな風に希望を持たせてくれる話があってもいいと思った。
アフター・アース [SF]
怪物に目の前で姉を殺されトラウマを抱えた少年が、墜落した未知の星(地球)で、負傷した父を助けるべく、たった一人数々の試練を乗り越える。ざっくり言うとこのようなストーリー。
世間や批評家からは酷評されていましたが、傑作ではないにしろ、それなりに楽しめる娯楽作だった。
シャラマン、冒頭の掴みは凄くうまい。
墜落中らしき機体、倒れている少年。
そこから、地球を離れ異星人(原住民)を駆逐して別の惑星で生存している人類のモノローグ。
次々と現れる未知の情報に、自然と前のめりになる。
対人間兵器として異星人が作ったモンスター(アーサ)が、「人間の恐怖を嗅ぎとって」襲って来るというアイデアはなかなか面白い。
「危険は確実に存在する。しかし恐怖は人間が生み出すものだ。未来に起きることを予測して恐れているだけ」
この台詞、まるでシャラマン自身が自分の作品を見る観客に対して皮肉っているかのよう。
だが、せっかく千年後の地球でのサバイバルが始まった!と期待するも、その舞台を生かしきれていないのが残念。
ウィル・スミス扮するサイファが吐く台詞「地球の動物は人間を襲うよう進化した」ことは原因も理由も明かされず、しかも動物たちが人間を意図的に襲うように細工された痕跡もなかった。ジャングルが生い茂っているのに酸素が足りないこととか、昼夜の寒暖差が激しすぎることとか、自然の摂理にだいぶ説得力が無いことも良くない。
これ、脚本の書き直しがあって宙に浮いてしまった設定なのか、「地球の動物は千年の間進化したので、人間にとって危険だ」の誤訳じゃないのか?と思ってしまう。
異性人が腹いせに、地球の動物に細工して母星に住めないようにしてしまったとか、地球人による汚染のせいで動植物が人間を排除すべきものと知性が発達したとか、裏設定か何かがあったに違いない。
もしくは、本当は地球の野性動物vs人間だけにしようと思ったのに怪物も出してしまったのか。
とにかく大風呂敷広げすぎた脚本をザクザク切り取ったような粗さ。
またモンスターも、皮を剥がされた鶏のような、どこかで見たような造形。
長い四肢、長い頭頂部。アメリカのクリーチャーデザイナーは、【エイリアン】の呪縛から逃れられないらしい。
とはいえ、VFXは素晴らしいものだし、定点から時間を切り取ったような撮影法を使ったり、動物の視点から人間を撮ってみたり、随所にシャラマンらしさも垣間見れた。アドベンチャーものとしては及第点。
ちなみに登場人物の名前が「キタイ(期待)」「センシ(戦士)」「アーサ(朝←だと思うのだが)」など、日本語の音が使われているのも楽しい。
プロジェクト・アルマナック [SF]
満足度★65点
■ドキュメンタリー手法を取った青春SFもの
奨学金を得るために発明品の開発にいそしんでいる主人公デイビット、その過程を証明するために撮影を始める妹という設定には無理がない。
同じオタク仲間と実験に失敗したり憧れの女の子に茶化されたりと、キラキラした青春が詰まっているものの、冒頭はありきたりな描写が続く。
展開が急変するのは二回。デイビッドが亡くなった父親の遺品のビデオカメラがきっかけでタイムマシンの設計図を発見するところと、タイムトラベルを繰り返す余り「現在」がどんどん悪い方へ変わってしまうことに気がつく場面。
「全てがうまくいく」と浮かれていた仲間達は、宝くじを当てたり、いじめの復讐をしたり、行きたかったフェスに参加したりと、者が考えつきそうなことを手当たり次第行って、青春を謳歌する。しかしクラスメイトの死をきっかけに雲行きが怪しくなる。
映画会社の宣伝文句のように「世界は破滅に追いこまれる」わけではないが「大変なことになっちゃった」という彼らのパニックぶりが逆に等身大で好ましい。
この映画のタイムトラベルは、過去に戻るたびに様々な未来が派生するわけではなく、一つの時系列を行ったり来たりする考え方。
UNOでリバースを二回出しても同じゲームが続いていくのと同じで、一度過去に戻っても同じ時系列で人生は進む。
マシンを動かした時点と空間がマーキングされるようなもので、戻るときも必ずそこに戻ってくるので、行ったり来たりしてもわかりやすい。
現在に戻ると歴史が書き換わっていて、自分たちだけが知らないというのもお約束。
「過去の自分に会ってはいけない」というルールが破られたときの現象の描き方は、賛否あるだろう。
タイムトラベルを描くときに、制作側が必ず直面する問題ですよね(笑)。
デイビットが父親を殺さなければならいのかな?などと予想していたら絡んでいなかったのは肩すかし。
ま、いい意味で高校生等身大の物語になっていたんだろうなと思います。
ちなみにフェスでステージに乱入した際、歌っていたバンドは【イマジン・ドラゴンズ】。
トゥモローランド [SF]
満足度★65点
トゥモローランド MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
- メディア: Blu-ray
■バッヂは希望の種
爪の甘さや説得力に欠ける点がとにかく多い が、ラストはいい。
結局人間ていうのは、自分が死んだあとも人の営みはずっと続いていくことを望むというか、命が繋いでいくことを強く願っているんだよね。
個人的にこういうラストに弱いんだよねぇ。色々な世界の人間が、同じ志を持ち前へ進むという、希望の持たせ方が。
繰り返すが突っ込みどころは多い。 フランクの罠だらけの屋敷や、パリへの瞬間移動は楽しいけれど、スモールワールドの入口は一体どこへ行った?とか、エッフェル塔のロケットはエッフェルらが使った後、誰が再建したのか? とか。あれが未使用なのなら、エッフェルやジュールらはどうやってトゥモローランドに行ったのか?とか。
トゥモローランドの社会構造はどうなっているのか?とか。 選ばれた人間たちが子供を作ったら自動的に永住していいのか?とか。 老化防止薬があるのに人口密度は大丈夫なの?とか。
じゃあジュールやエッフェルや、ディズニーも生きてておかしくないよね?とか、とか(笑)
禁断のマシンを作ったことでフランクを追放したのに、トゥモローランド側(ニックス) はそれを壊すどころか利用していて、それでいて「未来を変えたい」という彼を殺そうとするなんて、なんだかスッキリしない。絶望してるのはわかってるんだけどさ、やってみりゃいいじゃん。
ニュートンが選ばれた根拠も弱いといえば弱い気もするが、まあ彼女の場合、NASAの基地に忍び込んで妨害工作をする高校生なんて中々いないだろうし、あの気の強さも生命力の強さと受け取れるし、アテナが出会ったなかでは最高の頭脳と勇気を持った若者なんだろうと解釈して、深く考えないほうがいいと思った(笑)
それに、映画やドラマで暗い暗い話ばかり繰り返すと、本当に悲壮感や厭世感が漂ってしまうんだよ、というメッ セージを強く発信する、こういう映画がたまにはあってもいい。
ディズニーの予定調和なハッピーエンドに鼻白むこともあるが、それでも、そういう映画を作り続ける会社が一つはないと困るよね…と思うのだ。
フランクの父親のように、夢見る力を否定する人間は嫌い。たとえその人の努力が実を結ばなくても、たとえ世の中の役に立たず自己満足に終わったとしても、後悔せずに生きている人のオーラは周りにもいい影響を与えるんだよ。
子供向けだけど、大人も自分を振り返るいいきっかけになる映画だと思う。