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沈黙ーサイレンスー [歴史絵巻・文芸作品]

満足度★70点

●HP…http://chinmoku.jp/


沈黙-サイレンス- [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メディア: Blu-ray



心を征服しにきた宣教師と、心を蹂躙する為政者と、どちらも 同じ穴の狢。
どちらかというと、日本人の私としては、やはり一神教のお仕着せがましさが鬱陶しい。
神に代わって汝を許すなどと、神の声を聞いたこともない同じ人間に言われたくはない。
劇中の浅野忠信の言葉を借りると、仏教は「自分の力で悟りへの道を学び、仏に近づく」ものだが、一神教は「神の教えに盲従しろ」というもの。

縁もゆかりも無い顔かたちをした男性に「汝の罪は既に私が背負っている」などと言われても、じゃあなんで今苦しいわけ?と突っ込みたくなる。その点「人間が苦しいのは自分の欲からである」と説く仏教の方が、より普遍的に思える。

ただ、武士階級など生活に余裕のある者は、「苦しみは己の欲から生ずる」という教えに向き合う心の余裕もあろうが、重税に苦しみ、ひたすら現実から目を背けたい農民にとっては、「何も考えずに心を委ねる」一神教は乱暴な言い方をすれば楽ですよね。

その点を武士もきちんと心得ていて、農民が本当の意味ではキリスト教の教えを悟っていないこと、そしてだからこそ洗脳されやすい危険があることを承知している。
農民を苦しめている根源であるにも関わらず、「我らも嫌なのだ」「取り合えず形だけでいいのだから」と甘言で体裁を整えようとする嫌らしさ。形だけの行為が、じわじわと彼らを蝕むことも知っている。

そんな農民に「主は許してくださるから踏み絵をしてもいい」と救いの手を伸ばすどころか、神罰と背教を恐れて真の慈悲を見失う宣教師。イコンに執着する心の弱さよ。
本当に信仰しているのなら、胸を張り毅然とした態度で踏み絵をすればいい。

結局人を救えるのは人だけであるということ。
私は、神よりも人の内に宿っている善意を信じたい。

余談だが、最後の20分は蛇足。ロドリゴが踏み絵を決意する緊張の「サイレンス」の演出で終幕すれば、傑作になったのにと思った。


>>俳優メモ


さらに余談だが、リーアム・ニーソンアダム・ドライバーのキャラクターが、スター・ウォーズと被ってしまう。
時に怒りに我を忘れ、人に傲慢な態度をとる様子はカイロ・レンの弱さを彷彿とさせる。
リーアムは己を律し真の心を内に秘めた指導者として、クワイ・ガン・ジンそのもの。キャスティングの妙ですね。


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