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ミッドナイト・トラベラー [ドキュメンタリー]

満足度★82点

ミッドナイトトラベラー.jpg

■難民の置かれた状況は生き地獄にほかならない

タリバン政権の恐ろしさというより、各国で難民がどう扱われるのかという実態の一部を描く映画。

感情と感覚に訴えかけてくる抽象的な描写が多く、細かな点でハッサン達が置かれた状況の不明点も多い。
たとえば
・スマホの通信費用は誰が払っているのか(動画は通信しなくてもとれるが、娘はネットでMichael Jacksonの動画を閲覧していたし、ハッサンも電話をかけていたことから通信機能は制限されていないと推測)
・トランジットから家族は出ることができたのか
・映像は誰に手渡され、商業ベースにのることができたのか

日本語の持つ曖昧さがそうさせてるのか訳が悪いのか、娘の最後のセリフが過去形なのか現在進行形なのかが、わからない。
最後にたどりついたのが自由への一歩を踏み出せる場所であるはずなのに、監獄を象徴する最低の場所だったという絶望を受け、見終わった後もあの家族はトランジットから無事解放されたのかが気になってしょうがない。
そして、そうか、この曖昧で不安な状態がほんの少しでも難民に近しいのだとしたら、観客がこのまま放り出されることに意味があるのだな、と気がつく。


否が応でも日本の入管の事件を連想する。ネットなどの書き込みでは、不法入国者は犯罪者だと辛辣なコメントも飛び交う。だが、彼らはただ単に「安全な場所で働いて、生きたい」と渡ってきただけであり、生来は殆どの日本人となんら代わりのないただの小市民だ。言葉のわからない国で、手続きのミスや悪質な斡旋業者のせいで収監された人もいる。

本来、人間の数が少なければ、好きに移動して好きな土地に住み着くことだって構わないだろう。生来、人間も動物なのだから、どこに住もうと自由なはずなのだ。
ハッサンたちは、国家の枠組みと管理により「人間」から「難民」にさせられているだけ。
そして犯罪に手を染めなけれ暮らせないような状態に追い込まれいるだけなのだ。

彼らがアフガンで生まれなければ?
聖職者やCIAの犯罪を堂々と描くアメリカ映画や、
ナチスの罪を描くドイツ映画のように、国家を糾弾する映画を撮っても、スタッフや監督は自由を阻まれることなく暮らしていただろう。

しかし世界が誤解しない方がいいのは、恐らく大多数の難民は愛国心を持っていて、子供への危害や紛争がなければ母国に帰りたいと思っていることである(勿論難民キャンプで生まれた世代ではまた違うだろうけれど)。
なのでシュプレヒコールで「母国へ帰れ!」とうのはとんでもない愚かな言葉で、彼らだって母国に帰りたいのは山々なのだ。

ジャレド・ダイアモンドの著書『危機と人類』の日本の章で、日本の難民の受け入れが低いことに言及していた。
西洋のモデルを例に、難民を受け入れベビーシッターなどとして雇うことにすれば、女性の産後の社会復帰にも役立つと提案していたが、この例が現実的ではなくても、難民を閉じこめておくのではなく市民の一部として社会活動に加える枠組みが早急に必要だと思う。


マイケル・ジャクソンは正義や差別や偏見と闘う歌を作ってきた。ハッサンの子どもが、意識的にしろ無意識にしろ、あの状況でマイケル・ジャクソンを選んだ感性が泣けてくる。

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