オッペンハイマー@TOHOシネマズ日比谷 [ヒューマンドラマ]
満足度★80点
■2つの時系列がある特異点に収斂する脚本は見事
【鑑賞した座席】
「スクリーン5のH-8」…非常に大きなスクリーン、IMAXほどの没入感はないが圧迫感もない。H列は視線の上下にスクリーン外が入らず丁度いいかもしれない。
【レビュー】
「ホラーでありスリラーでもある」とはキリアンマーフィーがインタビューで語った言葉。
的を射た言葉だと思う。
真理を追究する過程の高揚感。
アメリカの混乱期の赤狩りという身内狩り、共食い、権力闘争の緊張感。
2つの時系列がある特異点に収斂する脚本は見事で、身震いがした。
序盤、ミクロの世界とマクロの世界が交差しその美しさと不思議さに魅入られる。その映像は、不安定なゆらぎで世界が構築されているということを視覚的に体感させ、壮大なドラマを予感させるとともに、見る側を不安にもさせ、オッペンハイマーの見ている世界を共有するような錯覚を覚えさせる。
素人の私でさえ、宇宙のことを考えると「何もない所から物質が生まれるわけがないのに、物質はどこから生まれたの?」など、馬鹿は馬鹿なりにそら恐ろしくなるので、世界の見え方が違うオッペンハイマーが精神を病むのは理解できなくはない。
科学者たちの理論を実験で証明したいという熱量や、世界の理(ことわり)を解き明かしたいという好奇心、国家のビッグプロジェクトに関わる高揚感に、こちらの心もある程度並走していく。
でも「日本」「投下」という言葉が出てきたとたん、心が硬直した。
「戦争を終わらすために」というアメリカの大義名分は、やはり日本人には受け入れがたい絶対的な拒否感がある。と同時に、これがイスラエルとパレスチナなど、現状各地の紛争が終わらない道理も理解できてしまう。爆弾を自分の国に落とした相手を、許せるはずがないのだと。その相手が「(攻撃したことは)正しい」と言い張っていると、尚更。
政治において過去を謝罪することがニュースになると「ただの形式の謝罪にどれだけ意味があるのだ」と皮肉めいた目でみてしまいがちだが、嫌、そんなことは無いと考えを改めた。謝罪はこういった当時の大義名分を覆す威力がある。しかしそうなると謝罪する側は母国の人間に顔向けができない。おだててそそのかして戦争に庶民を駆り立てたのは噓だということになるから。
話はオッピーに戻る。彼がもし実験に失敗していたら。ナチス政権下のドイツでヒトラーが手にしてたのだろうか。歴史にIfはないというが、オッピーがいてもいなくても、代わりに誰かがいずれ同じ様な兵器を作ったのだろうとは思う。歴史の流れというのはそういうものだから。
だから客観的にオッペンハイマーを判断することは難しいし、はっきりいって、できない。
「スリラー」の部分で、オッペンハイマーへの一瞬一瞬の「没入感」は凄い。
しかしノーランは、兵器を作り出した人間としての彼に「共感」はしえない、一定の距離をもって描いているようにみえる。
実際にボタンを押すのは彼ではないにしろ、明らかな大量殺人兵器を作っていたことは事実。ユダヤ人という出自がどこまで彼に影響していたのかはわからない。爆弾が投下されることに対して、他人事のような振る舞いにも見えたため、他の民族ヘの心の距離感があるようにも見えた。
ただきっと、原爆は、彼が思っていた以上の威力があったのは本当なのだろうと思う。
アインシュタインが素粒子論に対して否定的だったのか、理論の遅れを取っていたのかはその方面に詳しくないのでわからないが、ここでは破滅的な物をもたらすことを予見していたから、あえて身を引いていたように思えた。
また、武器を使用することに反対していた科学者たちの一団がいたのは救い。
音楽のルドヴィク・ゴランソン、スターウォーズの「マンダロリアン」でもテーマ曲を手掛けた。音楽が映画の前に出ないのに、必要不可欠。DNAの螺旋のように、がっちりと融合して、ノーランの撮った映像になくてはならないものとなっている。
【鑑賞前のチョイ食べ】
●DEAN & DELUCA CAFE
https://www.hibiya.tokyo-midtown.com/jp/restaurants/15100/
3時間の長丁場、上映時間によっては、鑑賞前後に友人とまったりする暇もない。
ミッドタウンは23:00にはほぼほぼレストランは終了してしまうため、19:30の鑑賞前にディーン&デルーカへ。ここは本体のビルから離れて、ステップ広場の階段の一階に位置するため比較的すいている。
鑑賞後は缶ビールでベンチに座り、感想を言い合った。
「もじイメージgraphic展」グラフィック展へ@21_21designsight [■ART]
●西武グループやラフォーレなど印象的で時代を象徴するポスター群。
●漢字をばらばらにするとアルファベットになるという知育玩具のような積み木
などなど、写真+文字、イラスト+文字でこれだけ遊べるといういい見本市のような展覧会でした。
さらに選択したフォントやタイポグラフイにより、その物のイメージを左右する。
文字の内容をダイレクトに伝える紙媒体だけでなく、商品パッケージやブランドイメージにも大きな影響を与える文字。デザインの深さを感じました。
この細いフォントをカタカナで使う度胸。ル・ルが並んでいて美しい
ギリギリ読めるか読めないかの相撲文字のようなフォント
全く同じ文章「グラフィック展・作品募集」もこれだけバリエーション。
葛飾出身というクリエイターの作品
●fruit in life
ちょっと疲れたので「fruit in life」で苺パフェ。
苺とリンゴのフルーツたっぷりでグラノーラも合いました。
シード~生命の糧~ 「ウナカメ夜シネマ」に参加 [ドキュメンタリー]
■いきすぎた資本主義と開発競争の果てに
中野のシェアカフェ「ウナ・カメラ・リーベラ」で、「ウナカメ夜シネマ」という名前の上映会に参加しました。
https://www.cinemo.info/73m
メーカーに特許があるため種を採取することはできず、永遠に種を買わざるを得なくなる。そして作物が病気にならないよう、農薬もセットで購入せざるを得ない。企業は各国で政治献金も怠らず、種子の特許が受理されるよう手を回す。この利権の構造たるや。
欧米(主にアメリカ)による、中南米の石油開発による実質的な植民地支配の構造を思い出しました。
石油が種に代わっただけで、構造自体は全くおなじもの。
農薬の飛散により、薬害で苦しむハワイの人々の実状や土壌汚染も描かれていました。
民間人の殺傷に関してはわかりやすいため、マスコミも報道しやすい。しかし種子バンクの攻撃はその恐ろしさがダイレクトに伝わりにくいため、あまり日の下にさらされない。
民族そのものの数を漸減させるようなやり方は非道だ。もしかしたら将来、敗戦国が勝利した国に輸入を頼るかもしれないということまで考えられているとしたら、そら恐ろしいことである。
日本では1971年に「塩業近代化臨時措置法」が成立し、塩田が撤廃。海外の塩をわざわざ輸入して日本で天日干しして国内製造として販売している時期がありました。現在もコストの面で、伯方の塩は中身はメキシコ産だったりする。このように複雑に利権が絡み合った不思議な世界に、私たちは生きているのだなと寒気を覚えます。
遺伝子組み換え作物が登場してから年月は浅い。
現在は壮大な人体実験のさなかにいるのだろうと思う。
ジャンポール・ゴルチエのファッション狂騒劇 [ドキュメンタリー]
ミュージカルを観に行った友人と映画も一緒に。個人的には熊の“中の人”がツボ。ダンス習っているので、振り付けシーンがもっと見たいと欲が出ました。
フランス人の絶え間なく溢れ出す言葉と会話の量に圧倒されつつ、ゲイであることで子供の頃に受けた差別や孤独感が彼の今を形作ったのだとわかる構成になっていました。
居丈高で近寄りがたいイメージのファッションデザイナーとは違い、彼は凄く優しい。
演出が自分のイメージと違うと告げた振り付け師に後でフォローしたり、本番直前に怪我したダンサーにも自分のことのように心痛める。本番直前間際に進行が青くれていても、決して怒鳴ったり物に当たり散らしたりしない。
そのアバンギャルドなデザインからは想像できない人物像。
アジア人の視点でみると、欧米人には珍しく、人に嫌われたくない、好かれたいといういじらしさが、隠されることなくそのまま伝わってきました。
でも!自分がデザインした服には一切の妥協をしない。
僕はいつか突然流行遅れになる、という言葉が、世間のトレンドのめまぐるしさを物語ります。
夢を売る商売は、とても刺激的で美しい。
マルタ騎士団 知られざる領土なき独立国 [■BOOK・COMIC]
満足度★70点
日本人騎士も二年前に誕生、最近テレビにも出演し話題となりました。これはその武田さんが書いた本。
現存するマルタ国のマルタ島をナポレオンに追い出されるまでは一時領土としていたが、今は其の国とは関係ない(関係なくもないけど)。十字軍という歴史の側面を面白く学べるが、手放しで称賛する組織とも言い難いことがわかった。
マルタ騎士団になるには、在来騎士による完全スカウトのみ。条件はキリスト教徒で人道支援に従事しているかうんぬん。代々貴族のみの出自構成だったが、貴族の条件は撤廃。
結局政治的組織であり、現在も超金持ちの白人貴族がほぼ占めていることを考えると、きれいごとではない選民思想も垣間見える。しかし稀に宗教の教えはとんでもない善人を生み出すこともある。混ざり気のない信念を与えるのも、宗教の力の一つ。
「持てる者たち」の喜捨精神がどこまで現代で影響をもつのか、期待したい。