ヘレディタリー 継承 [ホラー・モンスター]
満足度★60点
■終盤で拍子抜け
何かあからさまな超常現象が起きそうで起きない、ひたひたと恐怖が迫る描写が続く。
…が、なかなか霊的な類の力が顕れないため、家族の中で異常性を垣間見せる女系の精神疾患の気質が、遺伝として「継承」されてしまうことを指しているのかとさえ疑いった。
血脈の異常性が周囲を狂わしていくストーリーならば、私としてはそちらのほうが怖かったのだが、結局悪魔に落ち着いちゃうんだな。
もちろん序盤から自殺したリーの兄の話や祖母のカルト性など悪魔を示唆するエピソードはプンプンしていたのですが、「悪魔を信じる人間の精神」が植え付けられていく人間の怖さ、というオチも想像したわけです。
しかしガチで悪魔とわかっていく過程で、なぜかどんどん怖くなくなっていきました。
精神疾患か悪魔つきなのかわからない【エミリー・ローズ】のほうが個人的には精神的にきつかった。代々、高位の悪魔「ペイモン」が継承された割には信者も少ないし、あまり大したことは成し遂げていなそう。妹の首がちょんぎれてしまう事故が一番グロくて恐ろしかった。
■終盤で拍子抜け
何かあからさまな超常現象が起きそうで起きない、ひたひたと恐怖が迫る描写が続く。
…が、なかなか霊的な類の力が顕れないため、家族の中で異常性を垣間見せる女系の精神疾患の気質が、遺伝として「継承」されてしまうことを指しているのかとさえ疑いった。
血脈の異常性が周囲を狂わしていくストーリーならば、私としてはそちらのほうが怖かったのだが、結局悪魔に落ち着いちゃうんだな。
もちろん序盤から自殺したリーの兄の話や祖母のカルト性など悪魔を示唆するエピソードはプンプンしていたのですが、「悪魔を信じる人間の精神」が植え付けられていく人間の怖さ、というオチも想像したわけです。
しかしガチで悪魔とわかっていく過程で、なぜかどんどん怖くなくなっていきました。
精神疾患か悪魔つきなのかわからない【エミリー・ローズ】のほうが個人的には精神的にきつかった。代々、高位の悪魔「ペイモン」が継承された割には信者も少ないし、あまり大したことは成し遂げていなそう。妹の首がちょんぎれてしまう事故が一番グロくて恐ろしかった。
まあそれら全てが悪魔のなせる業なのであれば…とは思うが、むしろこれからペイモンとカルト信者たちが何を成し遂げていきたいのかが、気になる。
タグ:ホラー
20センチュリー・ウーマン [ヒューマンドラマ]
思春期の少年の目を通して、米国史と女性史が重なり合うように描かれる。
不思議な共同生活を送る中で、少年は女性たちの心の痛みや複雑さを理解して癒そうとするし、女性陣は少年に人生指南をするつもりが逆に彼に癒されてもいて、他人なのに近しいそんな関係性が、少し羨ましくもあった。
唯一男性の同居人ウィリアムは、女性に翻弄され自分のアイデンティティを失いかけている。彼も独特の脆さを孕んでおり、個性的な役どころではある。
女性が重要な役割を演じてはいるが、あくまで主役は親子の話。
母は息子の世界の外側に押し出されて無力に感じ、息子は母に自分と二人だけの世界ではなく、新しいパートナーを見つけて幸せになってもらいたいと願っている。
二人は微妙にすれ違ってはいるが、本心は労りに溢れてる。
僕は母さんだけいれば大丈夫。ジェイミーのラストのセリフに泣けました。
そして女性のオーガズムに関心を持ってくれる男の子なんて、本当に貴重!こんなに優しい子どこにいる?
人生を外側から見つめるような、こういう作品は瑞々しければ瑞々しいほど、見ていて苦しくなる。おそらく自分の人生を客観視すると、余りに陳腐で平凡だから。
ドロシアのセリフではないが、幸せについて考え出したら、鬱になる。もしかしたら貧乏よりも虚無の方が恐ろしいのかもしれない。目の前の小さな幸せを見つめ続けなければ、現実味が消えて無くなりそう。
観客は多種多様なフィルターを通して、この映画に自分の人生を投影するに違いない。自分らしさを取り戻して自由に生きる、登場人物たちのその後の人生に、背中を少し押された気分。
たまたまだが、この映画の前に、エル・ファニングとパンクという共通項を持つ「パーティで女の子に話しかけるには」という映画を見たばかり。彼女のツンと上向いた鼻と不思議チャンな魅力は、パンクと妙な親和性があるね。
不思議な共同生活を送る中で、少年は女性たちの心の痛みや複雑さを理解して癒そうとするし、女性陣は少年に人生指南をするつもりが逆に彼に癒されてもいて、他人なのに近しいそんな関係性が、少し羨ましくもあった。
唯一男性の同居人ウィリアムは、女性に翻弄され自分のアイデンティティを失いかけている。彼も独特の脆さを孕んでおり、個性的な役どころではある。
女性が重要な役割を演じてはいるが、あくまで主役は親子の話。
母は息子の世界の外側に押し出されて無力に感じ、息子は母に自分と二人だけの世界ではなく、新しいパートナーを見つけて幸せになってもらいたいと願っている。
二人は微妙にすれ違ってはいるが、本心は労りに溢れてる。
僕は母さんだけいれば大丈夫。ジェイミーのラストのセリフに泣けました。
そして女性のオーガズムに関心を持ってくれる男の子なんて、本当に貴重!こんなに優しい子どこにいる?
人生を外側から見つめるような、こういう作品は瑞々しければ瑞々しいほど、見ていて苦しくなる。おそらく自分の人生を客観視すると、余りに陳腐で平凡だから。
ドロシアのセリフではないが、幸せについて考え出したら、鬱になる。もしかしたら貧乏よりも虚無の方が恐ろしいのかもしれない。目の前の小さな幸せを見つめ続けなければ、現実味が消えて無くなりそう。
観客は多種多様なフィルターを通して、この映画に自分の人生を投影するに違いない。自分らしさを取り戻して自由に生きる、登場人物たちのその後の人生に、背中を少し押された気分。
たまたまだが、この映画の前に、エル・ファニングとパンクという共通項を持つ「パーティで女の子に話しかけるには」という映画を見たばかり。彼女のツンと上向いた鼻と不思議チャンな魅力は、パンクと妙な親和性があるね。