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特別展「ポンペイ」 [■ART]

ポンペイには20年近く前に行ったことがあります。
青い空と肌色の岩肌むき出しの色の街のコントラストが鮮やかだったことを覚えています。
ツアーだったので余りに広く、全てを観ることは時間的に無理でしたが、それでもところどころ残るフレスコ画や、公衆トイレ、パン屋の遺構など、まるでタイムスリップしたような不思議な気持ちになった、あの独特の空気を覚えています。


さて、今回のポンペイ展。写真も撮影O.K.。人間は不思議なことに、他人の写真を見ると自分も行きたくなってしまうものです。要は生!生の体験じゃないといけない! 彩色が剥落しているとはいえ、彫刻の技術は目を見張る物がある。滑らかさ、浮き立つ血管、筋肉の張り。 

現地の状態を再現しようと工夫された試みも。

モザイクが発見された家の間取り、その家の主の情報、また炭化したパンや食べ物と絵画の符号、推測される食生活。
またアレクサンダー大王の壁画を床にプロジェクションマッピングしたり、その壮大さの一端を何とか垣間見せようとした展示方法は、今までの画一的な美術展とは違うものがありました。
完成度の高いモザイク画を搬送するのはそれだけで、気の遠くなるようなチェックを繰り返したであろうと思います。
美しいギリシャ彫刻を模範とした滑らかな大理石の彫刻群は、彩色が剥がれ落ちたことを考えても尚、神々しさを失わない。むしろ、余計な装飾がない現在の状態が、理想的な肉体美と自然美を堪能できてよいのかもしれません。
その中で一際異彩を放つ「ヘルマ柱型肖像(通称「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスのヘルマ柱」)」。
解放奴隷から成功を手にした男性ですが、なんと柱の台座に乗ったトルソーの柱の下に、男根がついているのです。まるで蛇口…!
しかもそれについての解説はいっさい無し。しかも、図録にも解説無し。
しょうがないのでネットの力を借りると、ある説が目に留まりました。
「古代ローマでは短小包茎」が賢い男性の象徴で美徳とされたとのこと。
なるほどね~~。しかしそれは、本意の裏返しかもしれませんね。
全体的には大きく分けて彫刻、アクセ、モザイクと いう分類でバランスの良い展示だったと思います。
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市場の様子
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女神アフロディテとクピドも人間の母子のよう
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炭化したパン
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タコ焼き器…ではありません。ケーキ等の型
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女性の膣内を確認する医療器具
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こちらはパネルですが、ポンペイくん本人もいましたよ

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ハリー・ポッターと魔法の歴史展 [■ART]

https://historyofmagic.jp/


錬金術師※本展とは関係ありません

日本のゲゲゲの鬼太郎における「妖怪や昔話の伝承」研究のように、ハリポタにおけるバックボーンをひも解く展覧会。錬金術・薬草学・占星学・化け物の伝説など広く網羅、そこに本物の科学が少なからず存在することに好奇心がそそられる。
・ハリー・ポッターであまりに有名になった「賢者の石」。錬金術の世界では至極ポピュラーな存在。
「非金属を金に変えたり人間を不老不死にする事ができる」という霊薬的なもの。
錬金術の記述書における「ドラゴン」などは比喩で、素材や精製方法を示す暗号化ではなかろうか。もともとは鉱石などから金を組成する化学であったはずだから、資源を奪われないようにしたのではないかとも思う。
・こどもっぽい想像力を掻き立てる本物の(と当時喧伝された)透明マント、マンドラゴラの展示も面白い(マンドラゴラは架空ではなく本物の植物で二股なので命名されただけ)。マンドラゴラは日本の夫婦和合の象徴「二股大根」にも通じる発想だと思う。
・不思議なのは占星学で使う水晶玉。
手相学のようにこの線は何を示すというような、覗き込んで何が見えたら結果は何かという「解」がない。
呪文「アブラカダブラ」に初めて言及したとされる『医学の書』。アブラカダブラの言葉を一文字ず減らして唱える方法もあるとか。
個人的にはウォーターハウスの絵画が二点鑑賞できたことがラッキー。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿も見逃せない。
ちなみに作者ローリングのスケッチもなかなか味があって上手い。
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東京ステーションギャラリーの吹き抜け廻廊

●ステーションレストラン・ザ・セントラル・TOKYO

鑑賞前にエキナカのグランスタで食事。
長距離列車のレストランを模したステーションレストラン・ザ・セントラル・TOKYOで舌鼓。
https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130201/13249439/
美術鑑賞ってけっこう時間かかるしお腹すきますね。
いやービーフシチューとカニクリームコロッケのコラボはかなり美味でした。
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イサムノグチ展 [■ART]

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イサムノグチは調和と秩序いう言葉をよく使う。彫刻におけるその二つとは何だろう。
例えば何の目的もなく、ただ単に岸壁や岩の前に立ったとき人はなにを思うだろう。きっとその風景は、意識にものぼらず、ただ素通りするだけのように思う。
しかしその岸壁から何かを切り出したとしたら、どうだろう。
岸壁の前に、自分と自然の間に形を帯びた岩や石が目の前に現れたとしたら。
その造形を目でなぞり、素材を手で確かめ、温度を感じ、気に入れば飽くことなく眺め続けるだろう。

イサムノグチの「調和」とは自然と人の意識との間に自然に馴染む形のことであり、「秩序」は人に自然との関わり合いを思い出させるもの、ということなのかもしれない。
印象的だったのは土偶や地蔵、禅を意識した素朴でかつ力強い形が多かったこと。日本人が培ってきた独自の象形に、命の根幹を求めるかのよう。
現代人に強く己のルーツに回帰するよう希求する、イサムノグチのメッセージを受け取ったように思う。

※余談だが、サカナクションのサウンドツアーは最初、あまりのイメージ違いに驚きました。しかし後日、イサムの生きた時代に合わせ丁寧にリサーチした上での選択だと知り納得。

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▲雲の山。山好きにははっとする。稜線に霧の滝が流れる山のシルエットが目に浮かぶ
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▲雨の山。濡れそぼった切っ先が天をつくよう
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▲地蔵。人型を極力単純化したのか。サークルは地蔵の頭部なのか
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▲鳥居のよう
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▲元々は遊具とのこと
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▲旅行がテーマの作品。八つ墓村を連想するが、突き出たものは足のようでもあり杖のようでもある

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ライデン国立古代博物館―古代エジプト展 [■ART]

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https://www.leidenegypt.jp/

ミイラをスキャンした映像と棺を立てて並べた展示がユニーク。
ミイラから複顔した模型がありましたが、目がアラブ人より少し小さくて吊り上がっており、鼻腔は狭くとがっていることからローマ人かギリシャ人のような風貌もたたえていた。

〈個人的な見どころ〉
「ツタンカーメン王の倚像」新王国時代・・・テレビなどでも紹介されたこともある座像。
「イクニューモン」(カワウソ)の像・・・数あるエジプト展で初めて目にする動物!
ミイラのスキャンでは、遺体の中には入れないとされる土偶が発見されたり、卵を有する蛇のミイラが見つかるなど新発見が映像とともに流れる。

中王国時代と思われる石造やレリーフの人物像は、下腹がほんの少し出ている。360度完全体を造形するに至らないエジプト彫刻に置いて、少しでも立体感を出そうという工夫だったのだろうか。

棺の中には木棺もあり木の性質に想像が飛ぶ。腐る木と腐らない木、その保存の仕方や加工の仕方の違いはなんだろう?古来日本では水に浮かべて木材を保存することもあった。木遣り唄がふと頭に流れる。
木は濡らしていいのか悪いのか?何千年もその姿を保てることが想像の範疇を超える。
おなじみのカノポス容器、精巧なビーズアクセサリーなどエジプト展でおなじみの物ばかりが並ぶが、今回はどれも「B級品」がない、選りすぐられたものばかりという印象を受けた。
ヒエログリフは、描かれた動物の顔の向きから読む方向を見つける。巻物の中で中心から左右別々に広がっていくものもあった。
相変わらず覚えては忘れていくヒエログリフだが、そのヒエログリフの刻印の中には、無粋な想像だがどれか誤字脱字もあるのでないだろうか。解読できない一部分はもしかしてそういう理由からかもしれない。王墓だから王族だからといって、慌ただしい政権闘争の中ではろくに推敲もされない墳墓や埋葬品もあったのではないだろうか。
識字率1%だったというからまさに暗号だ。呪詛でもあり輪廻転生のテクストでもあり、個人を特定するものでもある。
三角錐の「コーン」は個人の名前が刻まれて墳墓に差し込まれるという。
それだけ抜き取って、印璽としても利用できそうだ。

バーとカーは日本語に訳せないとは言うが、お盆などで供えられるきゅうりとナスのように、魂とその依り代と置き換えればそれほど似ていなくもないと思うのだが。

そういえば、お土産コーナーはメジェド様で溢れていたが、そのメジェド様は今回展示された「死者の書」には登場せず。連れの友人がしきりに実物を見たかったと嘆いていた。

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オノ・ヨーコと石岡玲子 二人の女性から強さを感じた展覧会 [■ART]

■ジョン&ヨーコ double fantasy(六本木ソニーミュージアム)

終業後、夜の6:30。人はそれほど多くなかった。

レノンが暗殺されたとき、私はまだ幼かった。新聞、テレビ、親が騒ぐのを見て、いったいビートルズとは、ジョンレノンとは何なのか、自分の知らない外の世界がぐんっと広がっているようで、そこに得体の知れない怖さを感じたものだった。
小学生高学年になり、洋楽にふれ、ロックのオリジナルを遡っていきビートルズにたどり着く。あのボブスタイルの髪型はかっこよいとは思わなかったが、キャッチーなメロディー、歌いやすさ、一度聞いたら忘れられない曲に魅了された。ビートルズを歴史順に知っていき、ジョンの横にオノ・ヨーコが現れる。

オノ・ヨーコは、無表情で目を見開いて何を考えているかわからない、得体の知れない女性に思えた。それから今までも、彼女への認識は通り一遍のテキスト上のものでしかなかった。なので今回の展覧会は、ジョン・レノンよりもオノ・ヨーコを深く知るいい機会となった。

素顔のオノ・ヨーコは、ちゃんと笑うし嫉妬もするし、ジョンとの関係についても悩む一般の女性と同じ面も持ちあわせているチャーミングな女性だった。しかし大きく一般女性と違うのは、ジョンに出会う前からずっと確固たる信念を持っていたこと。一つ一つの言葉が的確で、説得力がある。

ジョンは初めて出会う概念に戸惑い、自分なりに消化しようとずっともがいているように思えた。
「他にもいい人がいたかもしれない」と現在のパートナーに疑問を持つ人はたくさんいるかもしれないけど、この二人はこの二人でなければならなかった、そう思える二人。

それにしても、安田財閥の令嬢で日本では上流階級の部類に入る人なのに、ジャップだの、ジョンレノンは狂っただの、ひどい言われよう。その時代から比べれば現代は白人優位主義は薄まったのかもしれないが、まだまだ深く刷り込まれているのだろう。

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一番ハッとして、共感した言葉

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ジョンが練習した漢字。象形文字に立ち返り漢字を絵で捉えている



 ■石岡玲子展(東京都現代美術館)

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素晴らしい接客の館内レストラン

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私が初めて石岡玲子さんに触れたのは、忘れもしない「ザ・セル」という映画。サイコパスの意識の中に、潜入する捜査官にジェニファー・ロペス。その圧倒的なグロテスクさを擁した世界観に、目を奪われた。
それから「ドラキュラ」など映画の仕事が続いたので、私は暫くの間、石岡さんは衣装デザイナーだと思っていたほどだった。
今回、回顧展で作品を俯瞰してみると、女性のシンボルである乳房のモチーフが多い。裸からエロス払拭し、形そのものの美しさをアピールする。映画「イノセンス」やPARCOのポスターなど、被写体がヌードそのものだったりして、果たして現代でこれが広告として使用できるのか、またそこまで勇気のある会社はあるのかを考えると凄いことである。これも時代の違いということだろうか。

70年代を成人として生きていないのでわからないが、今とは違う熱量を感じる。
キャッチコピーでジェンダーレスとは?を問う作品が多いが、「らしさ」からの脱却を目指しつつも、「らしさ」が持つ美しさをありのまま見せたいという欲も感じる。
らしさ」によるメリットは享受しても構わないが、「らしさ」に縛られたり押しつけはいけない。
常に自分で考え受け身でいるな、という強いメッセージを感じた。彼女たちの時代から現在、ジェンダーの論議については牛歩に感じたりもするが、広い視野で歴史を見ると、女人禁制がまだ残っていたり自由恋愛のない時代からそれほど経過しておらず、すごい進歩ではあるとも思う。

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バンクシー 天才か反逆者か [■ART]

●https://banksyexhibition.jp


 


非公認で本人がフェイクと批判するバンクシー展。
きっとバンクシーは、宣伝に踊らされ、「バンクシー展に来た」という自己満足の書き込みにあふれかえるSNSなどを見て「やれやれ」と軽蔑しているだろう。

もれなく私もその愚民なのだが。
ただ、シルクスクリーンなどの版画作品を通じてコレクター所蔵品を一気に鑑賞できる機会はありがたい。バンクシーが外壁だけにアートを書いていると思っている人も多かった。
バンクシーは高尚な金持ちのために存在するアートを嫌う。ロシアのアート集団の支援のために版画作品を販売することもある。また、若きときは互いに自分の名を売りに出すためにグラフィカル・アーティスト達が集まるパーティで作品を販売したこともある。
名が高まるにつれ、そういった作品が彼の嫌う「高尚な」金持ち連中に買い漁られ、勝手に高値が付き、彼のあずかり知らぬところで売買されているのである。そういった金持ち連中が買ったアイテムを私たちが(バンクシーに一銭も入らない
展覧会で金を払い鑑賞しているわけだ。


もちろん、今回の展覧会は壁に描かれた作品の写真だけというのもある。

バンクシーを初めて意識したのはblur(2002)のアルバム。当時、退廃的な雰囲気でお洒落だと思った記憶がある。そのときはもちろん、新進気鋭のアーティストの一人としか認識しておらず、これほど世界的に有名になるとは思わなかった。ということはもう文化人にはすっかりおなじみになってから12年はゆうに経っているわけで。
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展覧会前にパンパンに情報入れるべきとは思わないが、「ディズマランド」や「ウォールド・オフ・ホテル」(世界一長めが悪いホテル)が本当に存在していたことも知らない方が多く、驚いた。これが一般的にバンクシーの名前が浸透したニュースの一つだったと思うのだが、何をきっかけにバンクシーを知ったのだろう。
社会風刺がバンクシーの作品のテーマなのだから、国際報道にアンテナ張っていないと作品に流れる批判精神の一端も垣間見れないのではないだろうか。




銃ではなく枕で戦えば死なずに済むのにという戦争批判か

閑話休題。
報道写真で有名すぎるほどの「ナパーム弾の少女」。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/090700247/?P=2
左右に配置するミッキーとドナルドは強烈。アメリカ、資本主義。米国民(または無関係を決め込んでいる先進国の民衆)が娯楽とファストフードを貪っている裏で行われていた代理戦争。
バンクシーの言葉には真理がある。


「この世で最大の犯罪を犯すのは、規則を破る側ではなく規則を守る側の人間だ。命令に従う人間が爆弾を投下し、いくつもの村を破壊する」
写真の少女、キムフックさんは背中に負った火傷により、17回も手術をしたという。


初めて知ったのはバンクシーが先行するキャリアを持つグラフィック・アーティストの「キング・ロボ」と「外の壁」で争いを繰り広げていたということだ。互いに互いのアートを改作しあっていたという。多少の絵心がある人間の間では、他人の作品に手を加えることは不文律だろうが、先に手を出したのはバンクシーだという。これが真実ならバンクシーの印象はかなり下がる。
因果関係は全く不明だが、ロボがアパートの近くで頭部を負傷し2014年に亡くなったという事実が気味が悪く、暗い影を落とす。二人の確執は映画『グラフィティ・ウォーズ』で描かれているらしい。

音声ガイドはアプリをインストールしなければならないが、テキストでも読める。
これを全部聞いていくと、ゆうに3時間半はかかる。直訳的なので多少わかりづらい点もあるが、バンクシーの生まれたブリストルという地域の文化的背景もわかる。

バンクシーはアンディ・ウォーホルやキース・ヘリングのモチーフも流用する。
「低俗と高尚の境界線を取り払った功績を讃えている」とのこと。商業主義と拝金主義への批判を是とするバンクシーらしい。

オズの魔法使いのドロシーが、国家権力によってバスケットの中身を検閲されている図は、奇しくも香港で治安部隊に拘束された買い物中の女の子のニュースとだぶる。



バンクシーのまつわる論争の一つ「落書きか否か」という論争は個人的にはくだらなく思い、「ストリート・アートは民衆のための正義のための手段」という解説が最も適切に思う。
ただそこに、器物破損の罪を犯しつつも民意に訴えたいことがあるということだ。
そして、そもそも公共の道路に接する壁というものが、一体誰の物なのか(もちろん法的に所有者の物なのだが)という問題提起もある。法律というものは結局「他人が決めたもの」であり、本来空気や土や道路や森や木や、自然や公園は「誰の物であってもいい」ものであり、「誰か」の物になった時点でそこには「金」が介在する不公平が生じる。
ホームレスを「ここは●●の土地」だとしていくら追い払っても、地球そのものが分割されて誰かの土地であるのならば、彼らの居場所はどこにもなくなってしまう。要するに「金のないものは死ね」というのと同義であり、それは生存権利に照らせばどだいおかしな話なのである。
他の
動物と同じく人間だってどこに存在していてもいいはずなのだ。

一番好きな作品は1970年代の反戦運動「フラワームーブメント」に触発された作品【ラブ・イズ・イン・ジ・エアー】。
銃口に花を挿す写真を初めて見たときは、心を揺さぶられた。ヒッピームーブメントをのちに知った世代だが、ジャニス・ジョプリン、ドアーズ、ママス&パパス、ジミ・ヘンを10代に聞いた時に受けた、いかんともしがたい衝撃と憧憬を思い出すから。



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私はこの作品を自由な心でさえ奪われかねない、という警鐘を鳴らしていると受け取る

母国の女王にも手を緩めない。モッズの象徴の前の猿のエリザベス。権威主義への批判か



商業主義を揶揄する作品の数々



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ミイラ ~「永遠の命」を求めて [■ART]

https://www.tbs.co.jp/miira2019/


エジプト・メソアメリカのミイラ展は過去何度か足を運んだが、今回静かな衝撃を受けたのは日本の自然ミイラの「兄弟のミイラ」だった。その眼窩の奥にまだぬめっとした眼球が残っているようにも見え、まだ命の灯が糸のように残っているようで、ひどく生々しかった。彼らの出自はわからない。兄弟同時に死んだのかも、後から同じ場所に葬られたのかも、死因さえも不明だ。兄の異様に膨らんだ頬袋がまた奇怪で、詰め物なのか腐敗時に膨らんだものかもわからない。

わからないことだらけで余計興味を掻き立てる。


生々しいといえばエジプトのミイラの鼻腔の大きくあいたミイラ。これは脳みそを鼻から掻き出すためで、生きているうちに処置が行われたかのように、ミイラが苦悶の表情をみせている。


また、破損個所の全く見当たらないような、学問的な探究心で自らミイラとなった本草学者のミイラの前では、自らに課したその峻烈な使命を目の当たりにし、ただひたすら感銘するばかり。

解説には「亡くなる直前に柿の種子」を大量に摂取していた」とあるが、これは即身仏にも通じる方法と見受ける。

https://mag.japaaan.com/archives/90333

即身仏は五穀絶ち、十穀絶ちののち、「土中入定」するさいに漆を飲む。この本草学者が何者か知らないが、すでにこの方法は知る機会もあっただろうから、敢えて他の方法で行った可能性もあるのかもしれない。タンニン成分が腐敗を妨げるから飲んだとあるが、両手がタンニンの色に染まっていた。学者の実験は成功したといえるが、場所と状況と環境が詳らかにされていないため、実際の方法は想像の域を出ない。それがひどく残念だ。

しかしなぜこの本草学者は名を伏せられているのだろう。子孫の意図なのだろうか。


そして即身仏を初めて目の当たりにし、その存在感に清々しいほどの感銘を得た。これは法衣を着ているからだとか、仏だという己の刷り込みからかもしれないが、すっくと伸ばした首筋に、静かな決意とあたたかな慈愛を感じた。


ミイラはそれ自体は人体のDNAをも失うほど別の物質になってしまっており、見た目は朽ち果てた木そのものである。言ってしまえば、遺体だとすら認識しずらく、人体を象った物質とも言えるである。

しかしなぜこんなにも胸をざわつかせる存在なのか。

それは死んでいるにもかかわらず、その生きた時代を閉じ込めたままタイムスリップしてきたように感じるからであり、どうしても彼らの生きた状況や生活や人生に思いを馳せてしまうからである。


ミイラだけではない。チャチャポヤの屈伸されたミイラに纏わせた布、ローマに征服されたエジプトでグレコ・ローマン期に造られた西洋式の棺、ミイラに付随する品々も当時のもの。

絵画であれ骨董品であれ、私たちが普段目にする展示品は人や生活から切り取られた一部であり、所有物と人が一体となって眼前に現れるのも、ミイラ展の魅力の一つと思う。


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マドモアゼル プリヴェ展 ガブリエル シャネルの世界へ@天王洲アイル [■ART]

■天王洲 B&Cホール


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ビーズで再現されたシャネルのアパートメントのドア2022-07-07T17:45:00.jpg


トリックアートでアパートメントの螺旋階段を再現


 

友人に誘われて行った展覧会


鑑賞無料な上に、ギフトにポーチやパンフレットまでもらえるなんて、こんなのあり?2022-07-07T17:44:31.jpg


 

専用アプリで完全予約制でちょっと面倒だけど、ココ・シャネルのアパートメントを模した空間で、CHANELNo.5がかぐわしく漂うオートクチュールの世界は一見の価値あり!


 

いつも思うのですが、一着に対して300時間、1000時間かかっている作品に対して足を止めてみるのはたかだか10分程度なわけで、この一着の後ろに関わった人たちの時間と労力を考えると足早に通り過ぎるのは冒涜なのでは?という気持ちになる。


 

これは絵画や音楽、映画や本など創造性に関わること全てに言えることなのだけど。だから、なるべく商品説明より作品そのものに目を向ける時間を長くするよう、心がけている。


 

富が集まり、生活のために決して必要ではないことに時間が割かれることによって創造性や技術が高まっていくことを考えると、芸術性を高めることははミニマムでエコなことと両立しがたいものなのだとつくづく思ってしまう。


しかし私たちは到底手に入らない華美なものに憧れるし、CHANELのようなハイブランドがない世界は味気ないと思うだろう。


その世界に混じることも足を踏み入れることもないかもしれないが、今回の展覧会のように暫しうっとりとさせてくれる空間は、人には絶対必要。袖を通すことがなくたって、自分がそのドレスに身を包み煌びやかな夜を過ごすことへ想像を遊ばせるだけで、心の栄養になるのだ。

CHANELの体現した五つの色のストーリー。


ショートムービーで繰り広げられるCHANELのドラマチックな人生。

幼くして母を亡くし父親に捨てられ孤児院で育ち、お張り子になり、初めて愛した恋人が事故で死に、第二死世界大戦を経験し、アメリカに渡り…。彼女のインスピレーションがどこから来て、どのように世界に広まっていったのか。そして彼女が行った革新的なファッションが社会をどう動かしたのか。映像も合わせて観賞すると近代服飾史も同時に学ぶことができてお得。

女性をコルセットから解放」「踝が出るワンピースドレス」「黒いミニ丈のドレス」「ツーピースのスーツ」なんて当たり前のように享受しているスタイルが、彼女が生み出したことを知らない人も多いだろうから、ショートムービーも絶対に見て欲しい。また、その当たり前のスーツスタイルが、一度は母国フランスで酷評されたことも新鮮な発見だと思います。アメリカの女優達がこぞって大絶賛し、劇中でシャネルスーツを着なければ、シャネルスーツは女性のスーツの定番にならなかったかもしれない。


シャネル自身もどん底から成功した働く女性の先駆けでもあったし、生み出したスタイルも「活動的な女性たち」をバックアップするものだったのですね。


 

ちなみにショートムービーはネットでも観賞できます。


https://inside.chanel.com/ja/masculine-as-her-muse?utm_campaign=crp-jp-jp-bp-insidechanel&utm_source=google&utm_medium=cpc&gclid=EAIaIQobChMI1M3r_7mE5gIV1qiWCh2vAwC3EAAYASAAEgI1dfD_BwE


 

このような展覧会がなぜ無料なのか?


夢見ることはいつまでも自由で、夢はお金を払って与えられるものに成り下がってはいけないとでもいうような、シャネルからのメッセージのよう。


みながCHANELは、美しく飾りたい、美しい物に囲まれてみたいという女性の夢を見続けさせてくれる稀有な存在で有り続けるだろうと感じます。
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3Dプリントで仕立てたスーツ。メッシュ地が少し盛り上がっているので、動くとメッシュ地の下の生地がキラキラ反射しているように見えます。 

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これぞオートクチュール!匠の技


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ギュスターブ・モロー展~サロメと宿命の女 [■ART]

https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/190406/

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『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』のイメージが強かったからか、こんなにも朦朧として抽象的な作品が多かったことに驚きました。
ローを象徴する「幻想的」という言葉からは、霞のように主張しない水彩画のようなイメージを抱きますが、近づいてみると厚塗りで力強い筆致がみられ、 私の浅はかなモローの印象は崩れ去りました。
しかし抽象的であるものの、ピカソなどのように対象を分解して再構築したような手法ではなく、あくまで対象の魂の形を描いたようであり、 それはあたかも素粒子の粒が寄り集まって一つの形を成していくような不思議な感覚。
まるで、目覚めたときに内容をつかみ損ねる夢の中にいる気分に陥りました。

『出現』については、散々見てきたようで、この作品をまるで見ていなかったことに気がつきました。サロメとヨハネがこれほどまでに眼光鋭く対峙していたとは。未来の亡霊であるヨハネの、恐怖と怨みを超越した神がかった顔を前にして、はっしとその眼しを受け止めるサロメ。
サロメのなかに、自分で運命を切り開いていく新しい時代の女性の強ささえ感じます。
しかしそれはモローのなかでは決して新しいものではなかったと思われます。
悪女のアイコン的存在であるサロメに、純粋さを表す百合の花を持たせたことに、画一的ではないモローの女性観を見た気がします。
女性に備わっている蠱惑的な強さとしたたかさはモローの手によって「発現」されたに過ぎないのかもしれません。
そして今回来日した作品群のなかで一番生々しい理想化されていない肉体はエヴァでした。人間の始祖であるエヴァ、そこから生み出される人間の系図はエヴァの犯した原罪という呪縛から逃れることはできないとばかりに、描かれたエヴァからはまがまがしさを感じました。

アラベスク織りに彩られた刺繍の『サロメ』からは、多元宇宙のように同時に存在しうる様々な世界が「出現」したようにも感じ、モローの精神世界への尽きない興味を垣間見た気がします。

未完の『エウロペの誘拐』は、下絵の輪郭線がくっきりと見え、塗り絵のように中身が薄く色づけられていたので、まるで東洋の水彩画のような落ち着きも感じました。

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シド・ミード展 [■ART]



入場料2000円って高くないか?図録を買えばいいんじゃないか?ってさんざん迷っていましたが、やっぱり行って良かった!渋っていた自分が阿呆だと思いました。

もうこの人が未来をデザインし尽くしてしまったんじゃ無いかと思うほど、完成度の高い未来像。

彼の描く未来都市は不思議と居心地がよく、絵を前にして没入感が高まった。特に前半の「PROGRESSIONS」の描く未来は、移動手段としての乗り物とともに社交場が描かれ、開放的なテラスやバルコニーで談笑している場面が主として描かれているからか、青空や宇宙空間との相性もよく開放感があった。この開放感やテラスはいかにも外国人が好きそうであるが、それがいい。


また、建築物やメカの流線的なデザインと、スター・ウォーズにも見られるようなグラマラスで時代がかった衣装との親和性が不思議なほど高い。
上級社会に属していると思われる人間たちが、全裸で描かれることも多く、それは古代エジプトの風俗を思い出させる。新しい物を見ているはずなのに、まるで古い時代をみているような錯覚。

メカのデザインは基本的に円、楕円のパターン。同じようなパターンが繰り返されることによって、一つ一つの絵が同じ世界を共有していると思わせる。技術がどれだけ進んでも、人間の営みはそうは変わらないという賑やかさが、何故だかほっとさせる。


それとは反対に、ブレードランナーの行き詰まる閉塞的な世界観。これも見事ですよね。
こちらのエリアは残念ながら全てが撮影不可でしたが目に焼き付けました。
メイキング映像で、確固たる「世紀末像」の一部となった「むき出しの配管」は、予算がなく仕方なくできあがったものだそうです。まさに怪我の功名。
リドリー・スコット監督曰く、ある建築家から「今後この映画を何回も観る」と言われたとのこと。それだけディストピアのイメージを植え付けたこの映画の衝撃は凄いものがある。

それにしても【 M:i:III 】の変身用マスク製造装置のデザインを手がけていたのは知らなかった。
ディストピア感満載の記憶売り買いする世界を描いたSF映画【 ストレンジ・デイズ】の記憶再現装置(?)は、よーく見ると蛙の手のようだとか、1986年制作の【 ショート・サーキット 】が2008年公開のピクサー映画【 ウォーリー】を彷彿とさせることだとか、新たな発見もありました。


人間は既にイメージされたデザインに沿って、実物が開発されていく傾向にある。

フューチャリストのシド・ミードの描く二つの未来。願わくばブレードランナーではなく、明るい未来像のほうへ人類が歩むことを願いたい。

余談ですが、ガンダムの撮影不可エリアの一番最後の作品、落書きと称された「大きなマグロ」(だったかな?)のイラストがめちゃくちゃ可愛かったです。これのグッズが欲しいくらい。落書きにもセンスがありますね。

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上の二枚が最高に好きです
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残念ながら「∀ガンダム」は未見
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