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フリーソロ [ドキュメンタリー]

満足度★98点

フリーソロ [Blu-ray]

フリーソロ [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: アルバトロス
  • 発売日: 2020/01/08
  • メディア: Blu-ray
■山岳映画ここに極まれり

ザイルなしのフリーソロは登山界でも異端だとされ、名だたるクライマーでさえ彼らには一目置いている。
そりゃあそうですよね。だって一回のミスで即死しちゃうんだもん。
ビレイをとった高所のクライミング映像でも心臓が縮み上がるというのに、この映画を見ている間は落ち着いて座っていることができず、見終わった後は疲労困憊。

究極の恐怖をどうして克服できるのか。万人が思う疑問に答えるかのように、劇中でも主役のアレックス・オノルドの脳の反応を調べる場面がある。彼の脳は「異常ではないが恐怖を感じる部位が常人よりも活発化しない」状態だった。それはトレーニングのたまものなのか、それとも先天性なのか。
彼の生い立ちやエピソードからは両方だと思われた。
一流のクライマーになれた理由は、最適の特性をもった人が、最良の道を選んだ結果なんだろう。

知られざるフリーソロの世界を垣間見ることのできる貴重な映像のオンパレード。
私はクライミング技術もないただのテント泊縦走1週間レベルのものですが、それでさえ大変な準備を要する。
「季節と山域・各ルートのコースタイム・登山口選び・バスの時刻表・テント場の選択・宿泊のタイミング・登山ルートの最新情報・食料の内容と補充・ウェア選択・道具の動作確認とメンテナンス」、仕事しながらだとこれに2週間は要する。天気が悪く季節がずれるとさらに練り直し、休みの兼ね合いでなかなか行けなくなることもある。

フリーソロは基本空身で上るため、一日で登れる岸壁にアタックする。
その準備のため、ビレイを取りつつ細かく岩の状態を調べ、丹念にメモを取り、何日も何日もシュミレーションする。一流のクライマーがルート選びをサポートする。
一流の山岳カメラマンがアングルを決める。
誰もが、アレックスに最高難度で難攻不落の壁に成功してもらいたいと思っている。

数ヶ月たって準備が整っても、アレックスはいつ登攀するかを決めない。
告知してから登ると気が散るため、集中度が最大限に高まったときに好きなタイミングでひっそりと始める。
そのため、撮影隊は野生動物を待ち受けるように彼が動き出すのをひたすら待つ。
そこには無言の命のやりとりがあり、まるでその一帯が静謐な精神世界に変容したようだった。
失敗したら、アレックスは自分の死をさらけだすことになる。撮る側は彼の死を目撃することになる。双方とも相当な覚悟が必要だ。本当にこの人たちおかしい。
でもひっそり初めてひっそり終わるフリーソロの偉業を、一流のクライマーでもある監督たち以外に、一体誰が収められるというのだろう。

ゴールに誰も待っていない。広く世間から喝采も賞賛も浴びることはない。記録がなければ誰も知ることがない。誰にも伝えてなければ、死んだことすら暫く気づかれないかも知れない。
アレックスは望まないだろうが、登山に興味あろうとなかろうと、あまりにも孤独で極限の挑戦を続けている人がいることを、もっと世間に知ってもらいたいと思った。

それにしても登山に取り付かれた人って皆が住所不定になりがちですね。
彼に安定と安心をもたらす女性は、結果、彼の集中を削いでしまう。愛は獣性を殺いでしまうのか。
恋人ができたとたん怪我を重ねるアレックスの姿を見て、悲しいかな、彼の人生には家族を持つうことがまったく向いていないのだなと思った。冒険者としての生き方の難しさも感じた。

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MERU/メルー [ドキュメンタリー]

満足度★90点


MERU/メルー スタンダード・エディション [Blu-ray]

MERU/メルー スタンダード・エディション [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
  • 発売日: 2017/06/07
  • メディア: Blu-ray
情熱が肉体に起こした奇跡が胸を穿つ

まず、普段から登山だけを妙に敵視する人が多いことに、以前から疑問を隠せない。
レビューには「命を粗末に扱うエゴイスト」や「怪我や遭難で救助される税金の無駄使い」「辛いのに登る理由がわからない」などなどの、存在の拒否を超えて憎しみさえ感じる言葉が並ぶ。
山岳遭難事故は報道されてしまうからだろうか。水難事故や他のスポーツ中の事故には同情の声も多いのだが、なぜか山に関しては敵意むき出しのコメントが多い。そういう方は幼いころ、課外学習で嫌な目にでもあったのだろうか。


ではプロレスやボクシングなどの格闘技、体を張ったアメフトやラグビー、サッカーなど他の競技はなぜ同じように批判されないのか。

批判する人々の道理に照らすと、無理に食べて太って寿命を縮める相撲や、42キロも走り体脂肪を極限に落とすマラソンや、器具から落下すれば大怪我する体操や、ボールが直撃したら危険な野球や、水難事故をはらむヨットやトライアスロン、ハンドルさばきを間違えたらクラッシュするF1なんてすべて無益で無駄でアホのやることで、命を粗末にしている行為なんでしょう。


しかし、危険や怪我のないスポーツなんてどこにもない。

彼らは死にたくてスポーツをしているのか?

答えは自明の理。そんなわけはない。

ただ好きだから挑戦したい、それだけだ。


また、スポーツ中であろうとなかろうと誰かが事故にあったり倒れたら助け合うのが社会。
日常から誰かに助けられていない人間なんて、どこにもいないと私は思う。

私も登山をやる。子供の頃もバレーボール、テニス、ソフトボールなど部活動にいそしんでいた。

なぜそれらをするのか?と聞かれたら、ただ単に「好きだから」の一言に尽きる。

それはなぜ米を食べるのが好きなのかという質問と同列で、他に答えようがない。
野球の相撲もラグビーも観戦するが、他のスポーツも同様だ。

しいて登山の特性をいえば、沿道にもゴールにも喝采を送る観客がいないスポーツ。
そういった意味ではひどく純粋な、己の満足のためだけの行いといえる。

相手は自然ですが、戦うわけじゃない。

文明の利器を使いながらも、岩や雪と格闘するうちに、人間の動物としての原始の姿に戻っていくような、何かをはぎ取られていくような気持ちになっていく。
不便さと恐怖を克服した先に、登頂した達成感がある。

この映画の登山家のレベルになれば、まだ人類に浸食されていないメルーという原始の姿を留めた山になればなるほど、その欲求をかき立てられるものだろう。


ほとんどのスポーツは準備や練習で苦しい時間がほとんどだ。
しかし好きな気持ちが上回っているから、肉体の極限までやり続ける。自分の限界を試したくなる。

レオンが瀕死の重傷を負っても驚異の回復力をみせたのは、山が好きだという情熱があったからであって、ジミーが悩んだ末に彼を連れていったのは、彼から生き甲斐を奪ってしまうことに他ならないから。
また、山に行ける機会は高山になればなるほど少ない。資金集めや加齢などのタイミングもある。
危ない・危ないといってレオンの回復を待っていたら更にチャンスは減るだろう。
それに他のクルーをチームに入れてメルーに挑戦することのほうが、レオンに対してあまりに酷な仕打ちといえないだろうか。


レオンが起こした肉体の奇跡を見て、ああ、誰かの物差しで、人の幸せを測ってはいけないんだなぁとつくづく思った。


人間は一見、無益だと思われることに挑み続けて発展してきた生き物。
スポーツに限らず、宇宙や火山や深海の探索や、トンネル掘削や高層ビル建築などなど、危険をはらむすべての人間の営みにおいていえることだろう。
アームストロング船長の語ったように、人は困難に挑みたくなる性質を備えているものなのだ。

だからこそ三人がメルーの天辺に立てたことが素直に嬉しく、感動した。
限られた人しかたどりつけない場所の映像を見ることができて、楽しかった。

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異端の鳥 [戦争ドラマ・戦争アクション]

http://www.transformer.co.jp/m/itannotori/



満足度★70点

■少年の目を通して描かれる悪意の寓話

異端の鳥.jpg

パンフレットを読むと、原作は作者の実体験に忠実なものではないらしい。

それを知って少し安堵した。一人の人間がこれほどまでに完璧な悪意の数々に出くわすだろうかと訝しんでいたからだ。

この映画は少年に向けられた悪意というより(もちろんその場合もあるが)、少年の目を通して人間の獣性を露わにしていくもので、モノクロの画(え)はどこか暗くて恐ろしいおとぎ話のような凄惨な美しさを秘めている。

使用人との浮気を疑い妻に暴力をふるう夫、息子が穢されたと激高し売春婦の膣にボトルを差し込み殺す主婦たち、敬虔なクリスチャンのふりをして少年を手籠めにする農夫。

閉鎖的な空間で自分が優位に立ちたいという生理的な欲求と虐げられる弱者。

一番心に堪えたのは、逃がすふりをして小鳥をペイントし、仲間の群から攻撃させるようにし向けて殺されるさまを楽しんでいた鳥飼のエピソード。

自分よりも弱い動物を守り涙する心を持っていた優しき少年は、次第に感情を失っていき、しまいにはある女性への失恋から彼女の家畜のっ首を切り落とし投げ入れるまでの攻撃性を見せる(ゴッドファーザー2を思いだした人は私だけではあるまい)。

少年の旅する世界は架空の世界で、言語はスラブ語をベースにしたこれまた架空のものだという。

ラマの女性や、コサック、ロシア兵などの実在の名詞は出てくるが、地域を限定しないことでより抽象的に描けるからだろうと思う。


戦時下の人間は自分本位になりがちだが、兵士以外の人間はこの映画のようにむき出しの攻撃性を持つものではなく、積極的な消極性が際立つものだと個人的には思う。要するに「苦しむ人を助け〈なかった〉」「捕虜に水をあげ〈なかった〉」「病気の人を防空壕にいれ〈なかった〉」「みなしごを見殺しにした」などなど…。

何が言いたいのかというと、登場人物の行動は残虐と非道という点でステレオタイプで多少芝居がかってはいるということ。

ただ、このレパートリーに自分の中に眠る、発露していない悪意がいつ首をもたげる時がくるのかという潜在的な恐怖を感じた。


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